2009年 07月 31日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(9)
今回はいささか特殊なというかヘンな帰り方をしました。
まず、1000形普通で蒲田で途中下車。発車間際を一枚。

実は後続で早く帰ろうとしていたのですが、後続は特急で、平和島でさっき降りた1000形普通に接続しています。
平和島で1000形に乗り移って、今度はそのまま品川まで乗り通します。おかげで先頭車の「特等席」を堪能できました。品川に着いて一仕事終えた1380編成です。

品川に着くと、降りた(上り)ホームの横浜方へ移動して、下り列車との並びを狙います。ちょうど後続の普通も1000形で、羽田に向かう京成3700形の急行と並びました。


これの折り返しを待つ間、各種の並びを狙いました。夕方名物の都営5300形による特急三崎口ゆき。並んだのは京成3700形ですが、こちらは珍しく北総に入るようです。

その後に来たのは都営5300形の「快特」成田ゆきです。これは京成本線ではかつての特急に当たりますが、特急が佐倉以遠各停になったので、元の特急は快特に「格上げ」ということになりました。相手は京急N1000形の特急で、三崎口に向かいます。

最後に折り返しの1369編成をカメラに収めていろいろあった6月の鉄活動をしめくくりました。

2009年 07月 29日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(8)
まずはお銀ちゃんでないN1000形。これもかつては1000形8連3兄弟が持っていた快特押上ゆき。横着撮りで撮ってみました。しかし安全な場所から撮っていてもフルスピードの快特を撮るのはかなり勇気が要ります。

A快特代走の2000形2連発。


最後は800形です。800形はどこで撮っていても必ず出くわしますが、特急や快特の幕を見ることができるのはまずこの蒲田-川崎間だけでしょう。川崎-空港を往復する区間特急や区間快特は、時間帯によってはN1000形や2代目600形などが不足するので、800形や時には1000形が入ることがあります。その場合は川崎で本線快特に連絡して、川崎からは普通にもどって浦賀や新逗子へ向かいます(上りは川崎まで普通でトコトコやってきて突如豹変します)。以前800形の区間特急を撮ったことがありましたが、区間快特の方は撮ったことがなかったので、思わぬ収穫でした。

2009年 07月 28日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(7)
まずはお銀ちゃん。区間特急です。

続いては快特。

夕刻になって、特急が走り始めました。

今度は2代目600形。特急久里浜ゆきです。

今度は快特久里浜ゆき。ウィング号時間帯のA快特代走です。

青京急1号も大活躍。特急三崎口ゆきです。この特急はかつて1000形8連3兄弟の持ち場だったスジです。今は2代目600形やN1000形が入っています。

2009年 07月 27日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(6)
京急の時刻表はこの規模の私鉄としては非常に充実しており、行った車両の折り返しが読みやすくできています。もともとあまり狙い打ちはしない主義でしたが、ここまで1000形が数を減らしている以上、折り返しまでしっかり押さえないと撮れない可能性もあるので、最近は各ポイントでチェックするのが常になりました。
今日は六郷土手下り編です。
昨日の上り編で撮った3編成のうち、1363編成と1250編成の折り返しを撮りました。六郷土手だと大体小1時間くらいで戻ってきます。明るい曇り空なので後追いも撮れました。1250編成の方はちょうど入ってきた1380編成と並びました。とっさのことでピントが甘くなってしまいましたが、本線でもほとんど見られなくなった並びということでここにご紹介する次第です。




2009年 07月 26日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(5)
とにかく1000形を徹底的に狙います。
まずは上り編。入ってきた1363編成をとっさにホームにしゃがみこんで撮ってみました。停まっている車両と違い、迫力があります。とっさの撮影だったので傾いていますが、納得できる仕上がりです。

今度はちゃんとホームに座って準備して撮った1250編成です。最近この角度に力を入れています。

慣れてきたので角度を変えて2枚。1348編成を立って1枚、すぐに座り込んで発車間際にもう1枚決めました。この撮り方をやるとホームにいる人が怪訝な顔で見ていますが、そんなことを気にしていてはイイ画は撮れませんので気にせずどんどん撮ります。こうして並べてみるとかなり感じがかわるものですね。


2009年 07月 25日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(4)
本線の方は各種やってきて気がまぎれます。N1000形と2100形の快特が並びました。

そのあと六郷土手で撮りました。この日は並び運がよく、ここでも並びが決まります。まずは「普通車一代」800形。上りは珍しい羽田空港ゆきでした。

続いて1500形。1000形の引退が相次ぎ、普通用6連が少なくなったため、かつて1900番台のサハを組み込んで8連にした編成から1900番台を抜いて、もとの6連に戻した編成が1000形の穴を埋めています。一方4連は特急・快特の増結より大師線に充当されることが多くなったようです。

2009年 07月 24日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(3)

今年、京急は開業110周年を迎えました。110年前というと、1899年。なんと19世紀末になります。日本の年号で言うと明治32年になります。
ちなみにこの年、東京-大阪間に電話が開通し、初の国産映画がつくられるなど、文明開化の成果が実を結び始めた年になり、翌々年から始まる新世紀(20世紀)への期待が多いに高まっていました。
また、20世紀に大いに活躍する人々が数多く誕生した年でもあります。私の興味を引いた人だけでも、私が大好きな作曲家の一人であるフランシス・プーランク、伊福部昭を筆頭に各国の新進作曲家を数多く見出したアレクサンドル・チェレプニン、アメリカ裏面史の主役アル・カポネ、私の家の近所に居を構えていた「ひとぉ~つ…人の世の生き血をすすり…」でおなじみの「桃太郎侍」の原作者山手樹一郎、「のらくろ」の田河水泡(落語「猫と金魚」の原作者でもあります)、ジャズの大偉人で武満徹も私淑したデューク・エリントン、ミュージカルの神様フレッド・アスティア、ギャング映画の立役者ジェイムズ・キャグニィ、サンペンス・スリラー映画の神様アルフレッド・ヒチコック、「誰がために鐘は鳴る」のアーネスト・ヘミングウェイ、「伊豆の踊り子」の川端康成、「二十四の瞳」の壺井栄、新派名狂言「日本橋」の川口松太郎、私をクラシック音楽に誘ってくれた名指揮者ユージン・オーマンディ、歌曲伴奏の神様ジェラルド・ムーア、イギリスの名指揮者で私も大好きなジョン・バルビローリ卿、小林多喜二・徳永直と並ぶプロレタリア文学者宮本百合子、一番最初に挙げたプーランクが音楽を付けた絵本「ぞうのババール」の作者ジャン・ド・ブリュノフ、変ったところで「世界は一家、人類は皆兄弟」でおなじみで、日本を代表する黒幕の一人笹川良一、「辻説法」が1980年代までの銀座数寄屋橋の名物だった大物右翼赤尾敏etc...国内外、各界そして私の人生に大いに影響を与えた偉大な方々ばかりです。
それまで「六郷の渡し」で結ばれていた東海道(現国道15号線・第一京浜)に橋(六郷橋)がかかり、参詣客の便をはかるため、橋のたもとから川崎大師門前まで鉄道が敷かれました。関東初の電気鉄道で、その名を「大師電気鉄道」といいます。しかし、わずか3ヵ月後の同年4月に京浜電気鉄道と改称、3年後の1902年(明治35年)、六郷橋と川崎が結ばれました。このとき六郷橋駅は廃止され、京浜電気鉄道の支線大師線となったのです。
その後南北に路線を延ばし、品川-横浜間で省線・国鉄(現JR)と競合する大手私鉄に成長、戦中の「大東急時代」を経て、三浦半島と横浜(最初のターミナルは黄金町)を結んでいた湘南電気鉄道と合併(このとき標準軌に改軌)し、京浜急行電鉄となって現在に至ります。
ということで、ここ川崎大師は京急がその第一歩を踏み出した地、ということで1968年(昭和43年)、翌69年(昭和44年)の開業70周年を前に建立されたのがこの「京急発祥の地」記念碑です。

大師線は、現在地下線化の工事が始まっており、川崎大師駅も地下駅になることが決まっています。この記念碑もいずれどうなるかわからないので、こうして記録にとどめておきました。
1000形のいない大師線からはこれで退散。本線の1000形を求めて川崎に戻ります。
2009年 07月 23日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(2)
川崎まで一駅。来たのは1000形でした

川崎に着いたところを横着撮りで一枚です。

大師線ホームに降りると、停まっていたのは1500形でした。以前から1編成くらいは常時大師線に入っていたので「今日もそんなものだろう」と思っていました。
ところが、川崎を出て、すぐにすれ違ったのも1500形。「あれ?2編成も入ってる」と思いつつ先に進んで川崎大師。ここでもう1編成とすれ違いますが、上ってきたのはこれまた1500形…
しばらく訪ねなかった間に、なんと「いるのが当たり前」だと思っていた1000形がゼロという衝撃的な事態になっていました。かつての700形のようにここが終の棲家になると思っていたのですが、本線より先に姿を消すことになるのでしょうか。
確かに、昨年後半以来、N1000形の増備が8連から4連中心になり、お正月の臨時ダイヤのヘルプにも入っていたくらいで、また「歴史ギャラリー号」だった1321編成を筆頭に、大師線のレギュラーだった1000形4連の引退が相次いでいたので、6連より4連の方が少なくなったようには感じていましたが、まさか大師線に入る車両がないほど減っているとは思いませんでした。

結局川崎大師で1500形を何本か撮って、一旦外へ出ました。
2009年 07月 22日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(1)
快特で品川を出ると、すぐに1000形とすれ違ったので、蒲田で普通に乗換えて六郷土手で待ち伏せすることにしました。
待つ間に2代目600形や、800形を横着撮りです。ただ、長閑な逸見と違って街中の六郷土手ということで、若干人目が気になりますが…


さあ、1000形の登場です。この日1本目は1345編成です。

すぐに身を翻すと、お銀ちゃんの快特がフルスピードで通過!とっさにしゃがみこんで横着撮りです。

快特が通過したあと、ホームに停まっている1000形普通が川崎へ向けて発車するまでをカメラに収めました。上々のすべり出しと思いましたが…


2009年 07月 21日
6月の鉄活動から:都電荒川線・レトロとモダン
6月20日条に「撮って出し」でご紹介した話題の新型車両8800形の画像はこちらでご覧下さい。
大塚駅前で撮っていますと、荒川線のもう一方の話題の車両、9000形の2両目9002号車が折り返しでこちら側に一旦引き揚げてきました。トップナンバーの9001号車は臙脂ですが、こちらもレトロ車両らしい落ち着いた藍色とアイボリーのツートンカラーです。

シングルアームパンタにインバータ制御と、バリバリのハイテク車両でありながら、とことんレトロにこだわったフォルムは早くも古色蒼然たる風格を感じます。

9002号車が荒川車庫に向けて去ったあと、今度は9001号車がやってきました。

9000形はレトロ車両だからというわけでもないでしょうが、従来の車両や最新の車両に比べ全体に無骨で大きく見えます。8500形と8800形というモダン車両の代表と見比べてみてください。


