2007年 03月 07日 ( 1 )

昭和40年代は、地下鉄の建設ラッシュの時代だったと言えましょう。
東京オリンピックをきっかけに始まった東京の「改造」といっていい都市開発が本格化し、あれほどたくさん走っていた路面電車が一気に都心から消え、上は高速道路、下は地下鉄と、都心のあちこちで工事の槌音が響いていました。
地下鉄も営団・都営とも建設が進み、日比谷線・都営1号(浅草)線に続いて、都心を貫く路線が建設されました。5号(東西)線です。
営団(現東京地下鉄)は、日本唯一の「民営地下鉄」です(厳密には特殊法人)。都営線は基本的に東京都から出られません(都営新宿線本八幡駅は一種の「飛び地」扱いで千葉県との交渉で実現)が、営団の営業範囲は「東京23区とその周辺」となっており、地元自治体の交通事業を阻害しない限り都県境を越えても問題はないのです。実際は相互乗り入れなどで23区内で路線が完結することが多いので、地下鉄路線として都県境を越えているのは、国鉄(JR)総武線のバイパス路線として建設された東西線だけです。
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2006.8.1 東京地下鉄東西線南行徳駅
東西線は、日比谷線と同様、昭和39年から44年にかけて「できた順」に部分開業を重ねて全線開通しました。最初の開業区間高田馬場-九段下間は車庫・検車区がなく、早稲田通りに開口部を作ってそこから5000系電車をつり降ろして搬入しました。その話題は1月にご紹介しています。

http://deha712.exblog.jp/m2007-01-01/#4550793

その後、中野と西船橋で国鉄(JR)総武・中央緩行線三鷹、津田沼(朝夕ラッシュ時のみ)まで乗り入れ、さらに平成8(1996)年からは東葉高速鉄道との相互乗り入れを開始。現在も都心と千葉を結ぶ大動脈になっています。平行する総武線、京葉線などのダイヤが乱れた時は、振替輸送で度々沿線各駅がパニックになるのはご存知のとおりです。車両はこの3月で開業以来の草分け5000系が引退。昭和63(1988)年デビューの新世代05系との交代が完了します。
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2006.8.7 東京地下鉄東西線南行徳駅
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2006.8.31 東京地下鉄東西線南行徳駅
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by borituba | 2007-03-07 11:43 | てつどう | Comments(0)