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エピソードで綴る京急・京成ギャラリー(5)

今日のギャラリーは京急が主役ではありません。
品川を出てから、それまでJRとはやや距離をとっていた京急は、鶴見を出ると、横浜まではほぼJRと並走します。花月園前-生麦間は完全に同じ線形となり、東海道・横須賀線と快特がデッドヒートを繰り広げます。
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2007.2.26 京浜急行電鉄本線生麦駅
44年前、ここで悲惨な事故が起こったことを憶えていらっしゃる方も多いでしょう。一昨年の尼崎事故を上回る161名の死者を出し、鉄道事故の歴史に残る「鶴見事故」の現場がこのあたりなのです。
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2007.2.8 京浜急行電鉄本線生麦駅
昭和38(1963)年11月9日午後9時40分ごろ、東海道本線(京浜東北線)鶴見-新子安間で、貨物線(現在は横須賀線・湘南新宿ラインが走っている)走行中の下り貨物列車の後部3両目の貨車が突然脱線。架線柱に衝突し、隣の東海道本線上り線をふさぐ形で倒れ、そこへ東海道本線を走ってきた横須賀線の上り・下り列車(それぞれ12両編成)がほぼ同時に進入、
上りは時速90km前後という高速で衝突。先頭車が下り線側に弾き出され、すでに停車していた下り列車の4両目の側面を串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目までの車体を削り取り、そのまま乗り上げてやっと停止。下り列車の4・5両目はほとんど原形を留めないほど大破。上り列車の先頭車も大破しました。
このときすでに生麦に住んでいた叔母から、様子を聞いたことがあります。
「ものすごい轟音がして、その後叫び声も聞こえた。程なく救急車やトラックがたくさん来て、あたりは騒然とした。生麦駅脇の踏切がけが人や遺体の運び出しに使われて、鶴見のほうへ遺体が運ばれていった。」
遺体の安置所は鶴見の総持寺で、ここも大騒ぎになったそうです。
この事故がきっかけとなって「競合脱線」という現象がクローズアップされて、実験や改良の結果、そのメカニズムが解明されました。また、競合脱線を起こしやすい2軸貨車から4軸貨車へのシフトが始まり、現在、一般の貨車から2軸貨車はほぼ姿を消しています。
大惨事の現場を、何事もなかったかのように貨物列車がやってきます。貨車が脱線した貨物線は今では貨物列車は走っていません。
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2007.2.26 京浜急行電鉄本線生麦駅
by borituba | 2007-05-30 14:52 | てつどう