報恩・昭和の電車グラフィティ17-東急8500系

東急田園都市線は、神奈川県北部の宅地開発に伴う都心へのアクセス路線として建設されました。元々は二子玉川-溝口間の軌道(「玉電」の延長線)を東急が買収して大井町からの路線と接続(昭和41年まで二子橋上を併用軌道で渡っていたのはそのため)。昭和38年から昭和54年までは大井町-溝口(後に長津田)間が田園都市線と呼ばれていました。
昭和52年に新玉川線渋谷-二子玉川間が開通。当初新玉川線は高架線で計画されましたが、反対運動などの影響で、旧玉電の下(国道246号線直下)を地下で通すことになり、また地下鉄11号線(現半蔵門線)との相互乗り入れも決まっていたため、地下鉄乗り入れ用の車両が必要になりました。そこで8000系をベースにした乗り入れ車両を製作、8500系として昭和50年にデビューしました。
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2006.2.2 東京急行電鉄大井町線緑が丘駅
その後、昭和53年に地下鉄半蔵門線が部分開通しましたが、営団(当時)が新型車両を投入しなかったため、56年に営団8000系がデビューするまでは新玉川線の延長線のような扱いで、東急8500系がそのまま乗入れていました。そのせいか、「半蔵門線」というと今でも8500系のイメージが強く、地下鉄8000系は影が薄いような気がしてなりません。
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2005.6.14 東京急行電鉄田園都市線たまプラーザ駅
半蔵門線は渋谷-青山一丁目間を皮切りに、半蔵門、三越前、水天宮前…と延伸を続け、2004年、ついに東武伊勢崎線曳舟まで開通、東武線との相互乗り入れを開始、日光線南栗橋まで(今年3月からは伊勢崎線久喜まで)乗入れるようになり、中央林間(神奈川県大和市)-埼玉県栗橋市・久喜市間の関東平野を横断するルートが1本の電車で結ばれました。東急8500系もこれを機に更新が行なわれ、押上以遠に乗入れ可能な編成(東武用の保安装置などの搭載)はスカートが付けられ、種別、方向幕がフルカラーLEDになっています。
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2005.6.14 東京急行電鉄田園都市線たまプラーザ駅
8500系は8000系ベースのため、8000系以上に何もない顔で、前面の赤帯がなければ先頭車にすら見えません。そのため田園都市線のエースだった頃は「鉄」的には全くのノーマーク。半蔵門線でも8500系が来るとなんだか損したような気がしたものです。しかし、デビューから30年を越えて、ようやく古豪の貫禄みたいなものがついてきたような気がするから不思議なものです。
2002年に2代目5000系がデビューして、その増備に伴って廃車が始まりました。一部の車両は長野電鉄に譲渡され、井の頭線3000系の譲渡が一段落した今、8000系と並び東急系地方私鉄の譲渡車両の主力になっていくものと思われます。現在は東横線と並ぶ本線になった田園都市線と、もともとの経緯から田園都市線の支線的存在の大井町線で活躍しています。
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2005.10.25 東京急行電鉄大井町線緑が丘駅
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by borituba | 2006-02-03 13:15 | てつどう