人気ブログランキング | 話題のタグを見る

報恩・昭和の電車グラフィティ11-阪急6300系

昨日に続き、阪急の「昭和の電車」6300系です。
阪急京都線は、もともとは阪急でなく、新京阪鉄道としてスタートしました。大阪天神橋(現・天神橋筋六丁目)と京都西院間が昭和5年に開通。翌昭和6年には関西初の地下線として大宮まで延伸しました。このときから国鉄との激しい競争が始まり、両者とも高性能の電車を投入し、新京阪(阪急)は観光地嵐山や京都の中心により近く、さらに天神橋-大宮間ノンストップの超特急を運転。日本の電車史に残る名車デイ100(P-6)が国鉄「流電」52系とデッドヒートを繰り広げました。
戦後、京阪神急行電鉄(阪急)になってからもしばらくはP-6の活躍が続きましたが、2扉クロスシートの京阪の1900系特急車(元祖「ロマンスカー」)のデビューをきっかけに次世代特急車の開発が急がれ、昭和39年に2300系をベースにした特急車2800系がデビュー。京都本線は一気に近代化しました。
大阪万博を挟んで活躍した2800系でしたが、国鉄が急行型153系使用の「新快速」で対抗、京阪も新特急車3000系がデビューし、やや不利になってきました。そこで阪急もより速く、かつデラックスな新特急車を作ることになりました。それが6300系です。
報恩・昭和の電車グラフィティ11-阪急6300系_d0044222_14364792.jpg
2005.8.28 阪急電鉄京都本線西京極駅
6300系は、2800系が当時最新の2300系をベースにしたのと同じく、先行の通勤車5300系をベースに開発され、前面のデザインは5300系に準じていますが、腰の尾灯の周囲にステンレスの帯が付けられ、上部前照灯下のラインから上はアイボリーになり、特急車のシンボルとなりました(現在、5000系列以降の車両は全て上部がアイボリーとなり、「チョコパフェ」と呼ばれています)。車内は2800系を受け継ぐ2扉オールクロスシートで、ドア際以外はすべて転換クロスになっています(両端車両運転台直後だけロングシート)。運転台扉の横には独特の「Hマーク」が付けられ(現在は全て阪急の社章に交換されています)、エースとしての威容を誇っていました。
報恩・昭和の電車グラフィティ11-阪急6300系_d0044222_14493918.jpg
2005.8.28 阪急電鉄京都本線西京極駅
2800系が特急車としては短命であったのに対して、6300系は30年を越えてまだまだ健在と、物持ちのよい関西私鉄の中でも特急車としては異例と言っていい長寿を誇っています。しかし、JR新快速が圧倒的な速さを武器に京阪神間のシェアを私鉄から奪い始め、阪急特急もかつての烏丸・大宮・十三に加え、桂・長岡天神・高槻市・茨木市が加わって(かつての急行と同じ。代りに大宮を通過)、昔の特急は「通勤特急」「快速特急(京急ファンとしてはちと許せない名前ですが)」にその名残りがありますが、大きく性格を変えてしまいました。後継として登場した9300系は3扉セミクロスシートに「後退」していますが、増備が遅れており、今のところは全車健在ですが、デビュー以来一度も更新されていない6300系は老朽化が進んでおり、動向は予断を許さなくなってきました。しかし、一時代を築いた名車としての地位は不滅で、末永い活躍を祈りたいところです。
by borituba | 2006-01-28 13:55 | てつどう