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報恩・昭和の電車グラフィティ9-(営団)5000系

今日の「昭和の電車」は撮って出し、営団地下鉄(現・東京地下鉄)5000系です。
5000系は私と同い年、昭和39年デビュー。同年12月23日の東西線の開業当初は高田馬場-九段下間の部分開業だったため、道路に穴を開けてクレーンで車両を吊り下ろすという方式をとり、話題となりました。昭和40年以前に開業した東京の地下鉄で、開業時の車両形式が残っているのは現在東西線の5000系だけになりました(銀座線、丸の内線、日比谷線はすでに全車世代交代が完了している)。
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2006.1.26 東京地下鉄東西線西葛西駅
5000系は一部が試験的にアルミ車体で作られましたが、デビューからの量産車両は鋼製のフレームにステンレスの外板を張った「スキンステンレス車」で、全通時には西船橋で国鉄(現・JR東日本)総武線、中野で同中央線と相互乗り入れすることが決まっていたため、営団初の20m車となりました。
東西線は東京の地下鉄では珍しく、地上区間(相互乗り入れ区間は除く)が長く、全長の1/3以上(南砂町-西船橋間)が地上です(おかげで撮影が非常にしやすくなっています)。これは、当時の地下鉄技術では海沿いの軟弱地盤の掘削が難しかったことと、当時はまだ沿線は未開発の土地が多く、地上を走ったほうが安上がりだったということです。当初南砂町-西船橋間は4駅しかありませんでしたが、その後の沿線の開発はめざましく、現在は西葛西、南行徳、妙典の3駅が新設され、東京地下鉄唯一の快速運転(イベント用臨時列車を除く)も、当初は東陽町-西船橋間ノンストップだったのが、現在ではすべて浦安に停車。西船橋-浦安間各駅停車の「通勤快速」や、96年開業時から相互乗り入れを開始した東葉高速鉄道(西船橋-東葉勝田台間)内も快速となる「東葉快速」などバリエーションも増え、千葉県と都心を結ぶ大動脈となりました。
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2006.1.26 東京地下鉄東西線西葛西駅
昭和だけでも四半世紀近くがんばってきた5000系も、昭和末の63年に登場した新世代の05系の台頭で減少が続き、残った車両も風前の灯火状態になっています。前面をガラリと改造して東葉高速鉄道に移籍(1000系)した仲間も、東京地下鉄05系をベースにした2000系の増備で、5000系同様終焉が近づいてきています。
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2006.1.26 東京地下鉄東西線西葛西駅

1/31追記:その後中央線阿佐ヶ谷駅にてアルミ車も撮影することができました。しかし5000系は05系やJR東日本E231系に混じると歪みや汚れが目立ってなんだか哀れに見えます。昨年引退した京急700形が最後の最後まできれいであっただけに一層哀れです。なんとかきれいにして有終の美を飾ってほしいものです。
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2006.1.30 中央本線阿佐ヶ谷駅
by borituba | 2006-01-26 20:02 | てつどう