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報恩・昭和の電車グラフィティ6-(営団)6000系と仲間たち

営団地下鉄(現東京地下鉄)は、昭和40年代以降千代田線、有楽町線、半蔵門線、南北線が次々に開通。都営線と共に都電がなくなった後の都心の交通網の再構成が進みました。
昭和44年、東西線の全通と同時に開通した千代田線は、当初は東西線用の5000系を使用していましたが、専用の電車の開発が急がれ、試作車を経て昭和46年に正式デビューしたのが6000系です。
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2005.10.20 常磐線馬橋駅
地下を走ることが多い地下鉄車両にとって、重要な課題は「放熱」-車両から発生する熱をどう抑えるか、またどう逃がすか。ということです。従来の抵抗制御方式では、抵抗器からの発熱が大きく、冬場はともかく、夏場などは床下からの「ムワッ」とした熱風に辟易したものでした。6000系は、抵抗制御に代る新しい制御方式-サイリスタチョッパ制御を採用。床下から発生する熱を大幅に削減することに成功しました。
また、新しい地下鉄、と言うにふさわしい斬新なデザインの車両は、以後の電車のフォルムに大きな影響を与えました。6000系のあと、営団は昭和が終わるまでこのデザインを基に車両を作り続けました。
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2005.4.22 小田急電鉄小田原線喜多見駅
昭和49年、有楽町線が池袋-銀座一丁目間で部分開通。6000系をベースにした7000系がデビューしました。有楽町線は、丸の内線の池袋-銀座間の混雑緩和や江東地区と都心の連絡を担って計画されましたが、池袋口の相互乗り入れ相手をめぐって二転三転し、結局当初は東武東上線と直通、都心への乗り入れで東西線に「振られた」西武は自前で連絡線を建設してまで乗り入れて(現在も練馬-小竹向原間は「西武有楽町線」になっています)来ました。
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2006.1.12 東京地下鉄有楽町線和光市駅
7000系は6000系の双子の兄弟と言えるほどよく似ていますが、6000系では車両番号が入っている上部のスペースに「種別窓」が切られています。しかし、東上線内では普通のみの運用で(当初計画では乗り入れ駅は上板橋で、急行の運転も想定されていた)、西武への乗り入れは練馬駅の高架化完成が大幅に遅れたために長らく練馬止まりの「片乗り入れ」状態が続き、結局使われないまま行先幕が併記が可能なLED化されて「幻の種別幕」になってしまいました。
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2005.5.24 西武鉄道池袋線富士見台駅
「6000系兄弟」の末っ子8000系がデビューしたのは昭和56年。すでに昭和53年に渋谷-青山一丁目間で営業を始めていましたが、わずか二駅の部分開業で、同時に開通した東急新玉川線(現田園都市線)の延長線のような扱いで、東急の8500系電車がそのまま乗入れていました。開業時にはデザイン画だけが発表され、「幻の新型車両」といわれていました。
結局、3年後にやっとデビューしましたが、故障が多かったり、鳴り物入りで採用したボルスタレス台車も強度の関係で100キロまでしか出せず、踏切がない高速路線である田園都市線では8500系との性能差でダイヤ上のネックになるなど、「不肖の弟」になってしまった感があります。
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2005.6.14 東急電鉄田園都市線たまプラーザ駅
6000系、7000系は後継の06系、07系がデビューしましたが、増備はされておらず、試作車を含め全車両が健在。まだまだ主力として大いに活躍しています。一方8000系には東西線05系ベースの08系が登場。こちらは増備が続いており、ひょっとすると意外に短命に終わる可能性があります。
by borituba | 2006-01-23 23:23 | てつどう