2013年 03月 11日
あれから2年…復興の春は遠く
3月11日、東日本大震災から2年。
東京に住み、震災そのもので大きな被害は受けなかった私ですが、間接的には大きな影響、というよりダメージを受けています。そして今もそこから完全に立ち直ることができていません。
この2年間、さまざまなことがありました。思えばそのほとんどがあの震災から始まったように感じています。
震災の4ヵ月後に父を亡くしました。80歳を超えても体力・気力とも元気だった父が、急激に気力が衰え、食事も食べなくなり、卒然と世を去りました。
父の気力が急激に衰えたのは震災の後からです。特に恐ろしい目に遭ったわけでもないのですが、ガクッと老けて生活習慣がルーズになり始めました。本人がこの世にいないのでもはや確かめようがありませんが、どう考えても震災に遭ったことが引き金だったとしか思えないのです。
引き金といえば、震災から半年で体調を崩し、1ヶ月入院することとなり、今も闘病を続けているその最初の変調は震災の日に17時間余り車のシートに座りっぱなしだったことで足に張りがきたことからでした。その後も給油が困難になったりして長時間の運転が続き、足の張りがはっきり「むくみ」に悪化したところに父の急逝後すべて独りでやらなければならなくなったストレスも重なって、ついに身体が悲鳴を上げてしまったのです。
その時のことは震災翌日の記事で書いています「デハ712の一番長い日-2011年東北地方太平洋沖地震」
入院中に友人が差し入れてくれた「最長片道切符の旅(宮脇俊三著)」を読んでの奇しき体験についても記事にしています「あれから7ヶ月:入場中に読んだ本」。この本はその後も震災のことを思う折々に開いては被災した宮古・釜石・気仙沼・志津川などを偲んでいます。以前の記事にも書きましたが、宮脇さんのルートで福島原発の周辺を計ったように避けているのも不思議な因縁です。それが却って原発事故の恐ろしさと影響の深刻さが際立つ結果になっているのですから皮肉なものです。
そして、1年前、前述の「最長片道切符の旅」のほか2冊をご紹介していました「そして「その日」がやってきた…私と震災をつなぐ三冊の本」。
震災本体で被災した鉄道は、ほぼ復旧していますが、津波で壊滅的な被害を受けた三陸海岸沿いの鉄路は、仙石線が復旧しているほかは未だ復旧が進まず、バス路線に転換してしまったところもあります。そんな中、すこしづつ復旧を進めている三陸鉄道の懸命の努力と「鉄道の魂」と「心の鉄路」を守ろうという気概に感動しています。
来年の3月11日、東北の春が今より少しでも明るく暖かなものとなるように、そして震災と原発事故の犠牲となったすべての生きとし生けるものに、合掌。