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さらば5000系。思い出の彼方へ。

今日、関東私鉄を代表する通勤車両がその生涯を終えました。小田急5000系です。

5000系は1969年デビュー。同期は東急8000系、西武101系、大阪市交通局60系と、その後各社で長らく主力として大活躍する車両です(ローレル賞は大阪市60系が受賞)。そして西武「初代レッドアロー」5000系も同期になります(ブルーリボン賞受賞)。
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2006.1.17 小田急電鉄小田原線代々木八幡駅
結局同期の中で最も長生きをしたことになります。「初代ロマンスカー」2300系から続く小田急伝統の貫通型前面3枚窓、車体裾をしぼったスマートなフォルム、50年を超えて続いた「小田急の顔」の完結編でした。
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2006.2.7 小田急電鉄小田原線代々木八幡駅
増備は昭和57年(1982年)まで続き、合計180両が造られました。地下鉄千代田線乗入れには当てられませんでしたが、小田原線、江ノ島線、多摩線の全線に渡って活躍し、またロマンスカーと共に箱根登山鉄道にも乗入れて箱根湯本まで脚を伸ばし、各停から準急、急行、快速急行まで特急ロマンスカー以外の全種別にわたって運用され、京急初代1000形に匹敵する「万能電車」として43年間活躍しました。
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2006.11.3 小田急電鉄小田原線参宮橋-代々木八幡間
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2007.2.7 箱根登山鉄道箱根湯本駅
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2007.2.7 箱根登山鉄道箱根湯本駅
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2006.1.17 小田急電鉄小田原線代々木八幡駅
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2007.2.17 小田急電鉄江ノ島線中央林間駅
私はこの電車に京急初代1000形と同じくらいのシンパシーを感じていました。なにしろこのスタイリッシュなフォルムと京急を引っくり返したようなアイボリーホワイトの車体。昭和の電車の中でも京急初代1000形、東武8000系、西武101系と並んで好きな車両でした。なので小田急を撮りに行くとき、ロマンスカーと並ぶお目当てで、追いかけ続けていました。
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2009.2.15 小田急電鉄小田原線喜多見駅
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2009.2.21 小田急電鉄小田原線千歳船橋駅
普通古参車両は優等列車には入らず、支線区や各停運用に都落ちしてゆくのが常ですが、5000系は6連編成が先に引退した後も10連急行・快速急行の相方として1000系や2代目3000系と組んで最後まで活躍していました。抵抗制御にもかかわらず意外と音が静かで、インバータ車と組んでもあまり違和感がなかったです。
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2009.6.7 小田急電鉄小田原線千歳船橋駅
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2009.6.7 小田急電鉄小田原線千歳船橋駅
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2009.10.10 小田急電鉄小田原線千歳船橋駅
しかしやはり5000系の華だったのは6+4の10連時代でした。6連がいわゆる銀電のときはやはり「編成美」というものがイマイチ良くなかったと思います。京急の12連快特同様、白い車体に青い帯が後尾までまっすぐ伸びた姿は編成美の極致だと思いますね。
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2010.12.30 小田急電鉄小田原線喜多見駅
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2010.12.30 小田急電鉄小田原線喜多見駅
しかしついに「その日」がやってきました。世の節電ムードに加え、ロマンスカーをはじめ優等列車の比重が高い小田急にあっては、抵抗制御車はどうしても運用が減ることはやむを得ない世の流れでした。
そして今日、後進に道を譲ることとなりました。しかし、戦前から「いっそ小田急で逃げましょか」と歌にまで歌われたスマートな小田急のイメージの象徴として輝き続けた43年の「花の生涯」であったと思います。

想いは引き継がれる…さらば5000系、思い出の彼方へ。
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2012.3.3 小田急電鉄小田原線梅が丘駅
by borituba | 2012-03-16 22:00 | てつどう