2011年 12月 30日
2011年回顧-3つの「その日」:1月から7月まで
今日明日は今年の回顧になります。
まずは穏やかに明けた1月、この時点では今年が恐ろしい激動の年になるとは夢にもおもいませんでした。大師線のヘッドマークを撮った帰り道、初撮りと称して八ツ山で撮っていました。お銀ちゃん6連と交代して引退した803/804編成、この時点ではまだまだ元気で「縁起物」なんて言っていました。
今年も「昭和の電車」の引退が相次ぎました。小田急の「顔」として長らく活躍した5000系、6連車が引退して10連での純チャン姿は見られなくなりました。偶然遭遇したさよなら運転の特別列車、最後の晴れ姿です。
2月にはすでに引退が発表された都電7500形を求めて何度か荒川線に通いました。阪堺電車との「交流復刻」で往年の阪堺電車のカラーとなって最後の活躍を見せていた7511号車です。
そして第1の「その日」がやってきます。2011年3月11日14時46分。すべての日本人にとって絶対に忘れられない、いや忘れてはいけない日となりました。
この日を境に日本と日本人は一変してしまいました。そして「絆」という文字の意味をみんなが考え、思い、知ることとなったのです。
震災の後の電力不足の影響で、鉄道各社では節電モードに入り、エネルギー効率が決定的に悪い昭和の電車たちは軒並み車庫で休むことになってしまいました。上の都電7500形の引退もセレモニーなどもお行われず、ひっそりとレールを去ることとなったのです。
そんな中で私も約2か月間鉄道撮影に行く気分にはなれず、人々の混乱と動揺をよそに咲きほこる花々を撮っていました。例年は桜にしか眼が行かない中、陽光の中に咲くいろいろな花を撮った2011年の春でした。路傍のヤンポポや菜の花に生命力というものを教えられたような気がします。
唯一鉄道を撮ったのは桜とのコラボとして飛鳥山で撮った都電。荒川線の新しい顔、8800形が並んだところを桜をバックに撮りました。
ようやく鉄道が落ち着いてきた5月、弊ブログ開設記念から鉄道撮影を「復興」しました。練馬高野台のデハポイント(ⓒ岳鉄師匠)での撮影を始めたのもこのころからです。
6月は梅雨の晴れ間に青空と鉄塔の下を走る田園都市線やこれも吉例となったあじさい鉄など精力的でした。
7月、暑くて長い夏が始まりましたが、撮影は好調でした。東上線では引退進む8000系を、デハポイントでは夏限定の快速急行を、灼熱の荒川で京成を、東向島では久しぶりの伊勢崎線をと各地へ精力的に歩いていたのです。
そして一週間後、第2の「その日」がやってきます。