<   2006年 02月 ( 20 )   > この月の画像一覧

世界を掴んだ「曲」

トリノ冬季オリンピックが終わりました。
日本にとっては厳しい結果でしたが、練習場所などがままならない中、みんな良くがんばったと思います。
唯一、フィギュアスケート女子シングルで荒川静香選手が優勝。ヨーロッパとアメリカが独占してきたフィギュアの世界で、アジア人として初めて表彰台の頂点に立ちました。
荒川選手がフリーの演技で使用した曲は、地元イタリアが生んだ大作曲家ジャコモ・プッチーニのオペラ「トゥーランドット」。開会式でルチアーノ・パヴァロッティが歌った「誰も寝てはならぬ」を中心にしたアレンジでした。
今回の優勝で繰り返し流されて、「どんなオペラなの?」と思われた方も多いでしょう。あらすじをご紹介します。ちょっと長くなりますが、お付き合い下さい。

時は伝説の時代、中国の都北京。皇帝アルトゥムの娘、王女トゥーランドット姫は、遠い昔に滅びた王家の王女ロウ-リンが、滅亡の戦火の中、悲惨な最期を遂げたことへの憎悪から心を閉ざし、「王族の血を引く者で、自らの出す3つの問いに答えた者の妃となる。しかし、答えられない者はその首を刎ねる」というお触れを出し、何人もの首を王城の門前に晒しています。あたかも答えられなかったペルシャの王子が首を刎ねられようとしています。群衆たちが「砥石よ回れ!首切り役人出でよ!」と騒いでいるところへ、内乱によって国を追われたダッタンの王ティムールが召し使っていた奴隷の少女リューに手を引かれてやってきます。雑踏の中で転んだティムールを助け起こしたのは戦乱の中別れ別れになったティムールの息子カラフ王子でした。引き据えられたペルシャの王子に無慈悲に死罪を宣告するトゥーランドット姫。その姿を見たカラフは、その美しさに我を忘れて立ちつくします。自ら3つの問いに挑戦すると宣言するカラフ。3人の大臣や父、そして「お聞き下さい、王子様」と必死に訴えるリューが止めるのも聞かず、カラフは合図の銅鑼を鳴らし、王宮に引かれていきます(以上第1幕)。

今日は姫がカラフに問いを出す日。ピン・パン・ポンの3人の大臣は死罪ばかりのこの問いの日にすっかりうんざり。「故郷に帰りたい…」とぼやくことしきり(第2幕第1場)。
場面変わって王宮の御殿。引き据えられたカラフの前に皇帝アルトゥムが登場。「無益で残酷な挑戦をやめよ」と忠告しますが、カラフは3度拒絶して挑戦を宣言します。ついに姫が登場。「この御殿の中で絶望の叫びがこだました」と、ロウ-リンへの思いを語り、「謎は3つ、死が1つ!」と叫びます。カラフは「いや!謎は3つ、命が1つだ!」ときっぱり答えます。
第1の問い-答えは「希望」。
第2の問い-答えは「血潮」。
カラフは見事に答えますが、第3の問い-「お前に火を与える氷、それはお前の火から冷たいものを取り出す白く、また黒きもの。その火をつける氷とは何か?」には苦戦します。しかし、「私に炎を与える氷、その名はトゥーランドット!」ついに3つの問いを解き、姫を手に入れる者が現れたのです。
結果を受け入れ難く、いやがる姫に「夜明けまでに私の名前を当てれば、私は死罪になりましょう。」と逆に謎をかけます。皇帝をたたえる民の声につつまれ、姫は呆然とその場を去ります(第2幕第2場)。

その夜。王子の名前の詮議のために北京の都には「誰も眠ってはならない」というお触れがだされます。夜警の「眠ってはならぬ!」という声が響く中、カラフは独り「夜よ失せろ、星よ沈め。夜が明ければ私の勝利だ!(今回使われた「誰も寝てはならぬ」)」と歌います。そこへ3人の大臣が現れ、「名前を教えてくれ!さもないと我々は皆殺しにされる。」と言いつつ、金銀財宝や美女を連れてきて懐柔しようとします。警吏がティムールとリューを捕まえ、引き出してきます。いつしか姫も現れ、リューを問い詰めます。しかしリューは「誰にも言えない秘めた愛のため、私は名前を言うわけにはいきません。」と答え、「姫の氷の心はあの方の炎で溶けることでしょう。あの方が再び勝つために、私はあの方を見ぬまま目を閉じましょう」と警吏から奪った短剣で胸を突き、自害してしまいます。悲しみにくれるティムールは、リューを死に追いやった者への恨みの言葉を吐き、リューの亡骸を抱いて立ち去ります(第3幕)。

実はここまで書いたところでプッチーニは喉頭癌のために死去。結末は弟子のフランコ・アルファーノが補筆して完成しました。しかし、1926年4月25日にミラノ・スカラ座で初演された時、指揮者トスカニーニは、プッチーニが完成したここまでで演奏を止め、「ここまでで先生は生涯の仕事を終えられました。死は芸術より強かったのです。」といって終演してしまいました。翌26日には補筆部分まで全曲が上演されました。

人々が去り、呆然と立ち尽くす姫とカラフ。混乱した心に困惑する姫にカラフは接吻し、姫は正気を取り戻し、愛の喜びに涙を流します。カラフは自らの名を告げ、民衆が讃える中、ついに2人は結ばれます(第3幕第2場、演出によって第4幕とされる場合がある)。

このオペラはプッチーニの「わし、イタリアのワーグナーになっちゃうもんね」作戦の集大成として作られました。壮大でファンタジックな設定、「愛」を巡るサスペンス的な展開、そして清らかな女性の犠牲的な死。プッチーニが偉大な先達ヴェルディを超えるために苦心の末にたどり着いたのがそのヴェルディの最大のライヴァル「ワーグナー」であったのが面白いところ。

画像は私が常日頃愛聴するカラヤン指揮、ウィーン・フィルハーモニーが1980年に録音したCDです。これはカラヤンがこのオペラに対する独自の解釈のもと、子飼いの歌手陣をフル活用した豪華盤で、入門にぴったりであるだけでなく、いつまでも聴き飽きない素晴らしい内容で、是非おすすめするものです。
d0044222_22254419.jpg

by borituba | 2006-02-27 19:28 | おんがく | Comments(1)

最後の吊り掛け車

上州でのもう一つの目的は、3月のダイヤ改正で終焉を迎える東武5000系に乗ることでした。
不思議なことに、東武は関東最大の私鉄であるわりに近代化が遅れ、また車両の増備が間に合わず、旧型車をわりと大事に使っていました。
東武最後の吊り掛け通勤車である7800系は、伊勢崎・日光線と東上線の双方で活躍していましたが、初の新性能車8000系の増備に伴い、車体の老朽化(床が木張り、片開きドアなど)が目立つようになりました。しかし、全車一気の置き換えが難しいので、車体を更新することで両数を確保することになり、昭和54年から順次8000系の車体に載せ替えました。これは旧国鉄が73形電車の老朽化に対応して103系の車体に載せ替えたのと同じ「アコモデーション改造」という手法です。
d0044222_22544651.jpg
2006.2.24 東武鉄道伊勢崎線館林駅
吊り掛け駆動は、モーターを車軸と台車枠との間に「吊り掛ける」かたちで設置する方式です。構造が単純なので長らく電車の駆動方式として重用されましたが、モーターの振動が台車を通して直接車体に伝わるため乗り心地が悪い、車軸の動きに対応するためにギアに遊びがあることから騒音が大きい(ファンはこれを「吊り掛け音」と称して珍重していますが)、などの問題から、1950年代半ばに登場したカルダン駆動車(「新性能車」と総称される)が爆発的に普及し、殊に1980年代以降、吊り掛け駆動車は急速に消えていきました。こちらは8000系。見た目は確かにまったく5000系と同じです。
d0044222_23253413.jpg
2006.2.18 東武鉄道東上線池袋駅
東武5000系は、比較的早くアコモデーション改造されたため、本線筋がどんどん近代化してもしぶとく生き残り、21世紀の今日まで重厚な「吊り掛け音」を響かせることになったのです(今回乗った時も実にイイ音でした)。しかし、ついに8000系改造車(800系)の投入で引退することになりました。半世紀にわたって人々を支えてきた武骨で頑丈そうな台車に感謝いたしましょう。
d0044222_23364148.jpg
2006.2.24 東武鉄道伊勢崎線館林駅
by borituba | 2006-02-26 21:54 | てつどう | Comments(3)

新しい「分身」発見。

久しぶりに群馬へ行ってきました。
祖父が大胡町(現在前橋市に併合)の出身で、幼い頃から親しんでいる上毛電鉄を訪ねました。近年はクルマでの訪問が多く、この前乗ったのはまだ元西武351系がいた頃でした。その後、元東武5000系の時代は全くご無沙汰。時代は流れて現在は元井の頭線3000系の700系が活躍しています。意外にも上毛電鉄初のカルダン駆動車になります。
d0044222_12145867.jpg
2006.2.24 上毛電気鉄道中央前橋駅
本家の3000系は更新されて面相が変わっています(弊ブログ1月25日条:報恩・昭和の電車グラフィティ8をご参照ください)が、上毛に来たのは原型のままの「湘南顔」です。上のサーモンピンクはこの1編成だけの貴重品で、その他はすべて上毛のイメージカラーであるエメラルドグリーンです。
d0044222_12254579.jpg
2006.2.24 上毛電気鉄道中央前橋駅
入ってきた編成を見ると、おお、「712」ではありませんか。近年、鉄道の世界では3桁の形式番号は珍しくなり、京急700形亡き今、700を名乗る電車は今後現れるだろうか、と思っていましたが、譲渡車とはいえこんなところでお目にかかれるとは思いませんでした。
d0044222_12373846.jpg
2006.2.24 上毛電気鉄道大胡-樋越間
車内の銘板を撮ったら、なんと井の頭線デビューが昭和39年!私と同い年ではありませんか。しかもいわば「父祖の地」で活躍しているとは。何やら不思議な因縁すら感じます。
d0044222_12463669.jpg
2006.2.24 上毛電気鉄道デハ712車内
by borituba | 2006-02-25 12:06 | てつどう | Comments(2)

セミナーもいよいよ大詰。ついでの八ツ山詣でも今日が3度目になりました。
今回の八ツ山の目的は、いよいよカウントダウンが始まった北総7000系。運良く昨日・今日2日間で全3編成を撮ることができました。まず昨日の夕方には7003編成が撮れました。
d0044222_2342910.jpg
2006.2.22 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
今日はセミナーが午前中だけだったので、12時ごろから腰を据えて撮ります。まず来たのはトップナンバー7001編成です。
d0044222_2363625.jpg
2006.2.23 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
続いて7005編成…と思ったら、「ゲンコツ君の天敵」最新型7500系の第1編成が早くも品川口にやってきました。デビュー直後の真新しい車両が撮れてラッキーではありましたが…これのおかげでゲンコツ君が終焉になるので、ちょっと複雑ではあります。
d0044222_23101874.jpg
2006.2.23 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
もう来ないかな…?と思っていたら、7005編成も来ました。今日現在全車健在のようですが、京急700形同様3編成しかなく、また印旛日本医大-羽田空港という長距離運行なので、八ツ山で全部撮れてラッキーでした。
d0044222_23132989.jpg
2006.2.23 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
by borituba | 2006-02-23 22:59 | てつどう | Comments(0)

土曜の朝、八ツ山。

セミナーに行く前に、いつもの八ツ山で撮影しました。
朝この時間に撮影するのは初めてで、普段の日中には撮れない「特急」が撮れました。快特でカッ飛ばす2100形ですが、この時間帯はオールクロスシートの「デラックス特急」で上ってきます。
d0044222_21395359.jpg
2006.2.18 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
都営線に乗入れる高砂ゆき「特急」です。かつては都営線に入る京急車(1000形)はすべて特急(そのかわりに都営車がすべて急行)でしたが、現在は朝夕を除き空港ゆき急行とエアポート快特、三崎口方面ゆき快特になっています。なのでこの幕は非常に懐かしさをおぼえます。
d0044222_21455139.jpg
2006.2.18 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
by borituba | 2006-02-20 21:25 | てつどう | Comments(3)

品川駅点描

木曜日からセミナー受講のため品川に通っています。
品川といえば、第一京浜に面した高輪口は八ツ山撮影のために何度降りたかわかりませんが、反対側の港南口には一度も出たことがありませんでした。
d0044222_134072.jpg
2006.2.18 品川駅港南口駅前
以前中学生の時に13号地(現お台場)から品川ゆきのバスで港南口に着いたことがありましたが、そのころは周りには何もなく、新幹線の車両工場の下を細くて暗い地下道を通って高輪口に抜けたのをおぼえていますが、品川プリンスホテルやWing京急ホテルなどが立ち並び、にぎやかな高輪口とはあまりに違っていました。
しかし、車両工場が大井に移転し、その後新幹線品川新駅の建設と状況が一変。品川駅港南口は超高層オフィスビルが立ち並ぶ「東京摩天楼」の一部となりました。朝日に輝くこのビルは、港南口とペデストリアンデッキでつながっており、一際目立つ存在です。
d0044222_11622.jpg
2006.2.18 品川駅港南口駅前
by borituba | 2006-02-19 01:04 | ふうけい | Comments(2)

京急の「幕」

羽田空港乗り入れまで、京急は方向幕を独特の表示をしていました。その基準は…
1.駅名の「京急(かつては「京浜」)」は省略(「京急川崎」→「川崎」、「京浜逗子」→「逗子」、「京急久里浜」→「久里浜」)
2.原則として4文字以上の駅名はわかる範囲で省略(「金沢文庫」→「文庫」、「神奈川新町」→「新町」。例外は「三浦海岸」)
3.乗り入れ先も適宜省略(「京成小岩」→「小岩」)
かつて本線からの直通のなかった空港線の車両(400形、800形)は「蒲田⇔羽田空港」という幕でしたが、当時は成田空港からの直通列車がなかったので、1000形や700形に入っていた幕の表示は「空港」でした。
d0044222_0251835.jpg
2006.2.18 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
完全な通勤路線だった京急でしたが、羽田空港乗り入れによっていわゆる「一見さん」が増えるのに備えて、幕の表示を改め、駅名を省略せず、すべて表示するようにしました。
d0044222_033478.jpg
2006.2.18 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
私のように子供のころからの京急ファンにとっては、この独特の字体と幕の表示にかなり愛着があるので、昨今の幕表示の改訂とN1000形からの白色LEDの導入は魅力であるとともに一抹の寂しさもおぼえます。現在は「川崎」「新町」「文庫」「久里浜」くらいしか見られませんが、一日も長く残して欲しいな…とも思います。
d0044222_0395614.jpg
2006.1.6 京浜急行電鉄本線横浜駅
by borituba | 2006-02-18 23:45 | てつどう | Comments(0)

しっくりこない…

2000系を撮るために訪れた西武新宿線には、私にとってはなじみが深い6000系もいました。
平成10年に練馬までの片乗り入れ状態が解消してから、有楽町線に入るようになりましたが、デビューはその6年も前の平成4年です。練馬駅の高架化が遅れたために延々「待たされた」わけですが、その間地上区間を走っているうちに西武では車両の運用を改め、専用形式がなくなって、本線筋は全ての形式が混在するようになりました。本来は地下鉄乗入れ用である6000系も「畑違い」の新宿線での活躍が見られるようになったのです。
d0044222_22572318.jpg
2006.2.7 西武鉄道新宿線野方-都立家政間
また、新宿線には定期列車がなかった特急も、平成5年、10000系の登場を機に「小江戸」号として定期列車化されました。
d0044222_2321860.jpg
2006.2.7 西武鉄道新宿線野方-都立家政間
この2つの車両が新宿線に登場してからすでに10年を過ぎています。しかしどうもこの2つが新宿線を走る姿はなんだかしっくりきません。現在特急車は10000系しかないので、新宿線にいても仕方がないのですが、6000系の方は今でも来ると「これこれ、君の働き場所はここではないぞ。池袋線に帰りたまえ。」と心の中でツッコんでいます。
同じことは池袋線を走る2000系にも言えます。初めて池袋線に来たのが平成2年ですから、もう15年になるのですが、いまだにしっくりきません。
d0044222_23131232.jpg
2005.8.19 西武鉄道池袋線東長崎-江古田間
こちらにも増結用2連があり、こちらはひし形パンタグラフです。そんなに古い電車ではないんですが、なんだかクラシカルな感じがします…
by borituba | 2006-02-17 22:20 | てつどう | Comments(0)

昭和の電車グラフィティもいよいよ大詰め、関東では営業車がわずか1編成になった103系です。
昭和38年デビューの103系は、最終増備が昭和59年と、なんと20年以上も製造された超ロングセラー車両。両数も日本の鉄道史上最高の3447両が首都圏・関西圏を中心に活躍しました。初のカルダン駆動通勤車101系(昭和32年デビュー)の後継として登場以来、線区の事情に合わせてさまざまなバリエーションが作られています。
103系の若い番号の車両は、関西に多く集められました。大阪環状線には万博に備えて昭和40年代前半から導入され、以来40年近く大阪の街を一周し続けています。
d0044222_23243021.jpg
2005.8.29 大阪環状線大正駅
101系以来、国鉄の通勤路線にはラインカラーが導入され、103系も各色で親しまれました。中央線(武蔵野線)は大阪環状線と同じオレンジ、総武・中央緩行線(鶴見線、南武線も。関西は福知山線新三田まで)はカナリヤ(黄色)、京浜東北線(のち京葉線開通当初も、関西では東海道・山陽緩行線、阪和線)はスカイブルー、常磐線(快速。のち埼京線も)はエメラルドグリーン、そして山手線(関西では関西本線奈良まで)はウグイス(黄緑)で、現在も路線のカラーとして、銀色の電車になった今も多くの路線で帯の色として使われています(京葉線は現在ピンクに。また関西は尼崎事故の影響で帯色の変更が進んでいます)。今までオレンジ(武蔵野線)、スカイブルー(京葉線)、エメラルドグリーン(常磐線)で撮影しています。
d0044222_2341426.jpg
2005.10.20 武蔵野線西浦和駅
d0044222_23414697.jpg
2005.10.25 京葉線葛西臨海公園駅
d0044222_23423434.jpg
2005.10.20 常磐線松戸-柏間(緩行線馬橋駅)
40年以上活躍した103系も、関東では常磐線の1編成が残るのみで、それもこの3月のダイヤ改正で引退が噂されています。関西では大阪環状線、阪和線、関西本線でまだまだ主力ですが、東海道・山陽緩行線から201系が転属してきて、環状線からは撤退が始まりました。
長らくお付き合いをいただきました「報恩・昭和の電車グラフィティ」は今日で一区切りですが、また各地で撮影した折に触れて「昭和の電車」はご紹介していきたいと思います。
by borituba | 2006-02-13 22:53 | てつどう | Comments(3)

いわゆる「近郊型」電車の新性能車は、「東海型」153系をベースとする3扉の正面貫通型車両ですが、その第1号はいわゆる「湘南電車」でなく、常磐線・鹿児島本線の電化を機に昭和36年にデビューした401系交直流電車でした。
常磐線は、茨城県内の電波研究所への影響を考慮して、取手以北は交流で電化されたため、交直流電車が必要になり、土浦や水戸への普通列車用として401系がデビューしました。交流電化区間は、日本の電気の周波数が西(60Hz)と東(50Hz)で違うため、初期の交直流電車は互換性がなく、60Hz用の車両には識別ラインが入っていました。
415系は昭和46年デビュー。日本初の三電気方式(直流・交流50Hz・同60Hz)車両でした。電化区間なら日本中どこでも走れるという当時としては画期的といっていい電車で、交直流の境目である常磐線や東北線黒磯以北、福岡地区の主力となりました。
d0044222_23555570.jpg
2005.10.20 常磐線松戸-柏間(緩行線馬橋駅)
常磐線というと、かつてはローズピンクにクリーム色の警戒色(急行型は側面窓周りまでクリーム色)でした。交直流電気機関車のEF80・81もローズピンクが標準色だったため、ローズピンクは交直流の代名詞的な色でしたが、昭和60年につくばで開かれた科学万博に備えて昭和58年から順次白に青の一本帯という現在の色に変更され、これが好評だった(ローズピンクは褪色しやすい色なので、変更は前から検討されていました)ために現在に至っています。このとき増備された車両は当時の最新型211系直流電車をベースにしたステンレス車両になり、同じ形式ながら全く違う車体になっています。
d0044222_05289.jpg
2005.10.20 常磐線松戸-柏間(緩行線馬橋駅)
登場から35年、沿線の環境は大きく変わり、水戸周辺まで東京の通勤圏が広がったことで、新幹線がない常磐線はスピードアップが求められ、また、つくばエキスプレスの開通もあって、その対抗策として最新のE531系がデビュー。415系は上野口からの撤退が近づいてきました。水戸線や水郡線ではしばらく活躍が見られそうですが、幹線を走る姿は間もなく見納めになりそうです。
by borituba | 2006-02-11 23:20 | てつどう | Comments(0)