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東武の全線に渡って活躍を続け、今も700両近くが現役という、私鉄で最も多く作られた車両が今日ご紹介する8000系です。
8000系のデビューは昭和38年。以後昭和58年まで20年に渡って712両が製造されます。そして最後の編成が入線した3年後の昭和61年には初期車両の更新が始まるというほど、長いサイクルで製造が続いた車両です。
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2006.1.30 東武鉄道東上線池袋駅
上の画像の顔で長年親しまれましたが、更新後はガラリと変わったニューフェース(快速用6050系がベース)になり、また、「暗い」と評判が悪かった内装も明るくなっています。初期車のミンデンドイツ、後期車のS型ミンデンとも乗り心地が良い台車として定評があり、またデビュー当時にはまだコストが高く、導入に賛否両論だった空気バネも結果としては乗り心地にプラスに働き、40年以上の車齢を感じさせません。
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2005.6.12 東武鉄道伊勢崎線東向島駅
長年活躍してきた8000系ですが、後継車の台頭で引退する車両が出始めました。しかし、21世紀の今日になっても群馬県内の支線区に吊り掛け車両が生き残っている東武で、8000系にはまだまだ居場所が大いに残っており、しばらくは活躍が続きそうです。
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2006.1.12 東武鉄道伊勢崎線春日部駅
by borituba | 2006-01-31 00:51 | てつどう | Comments(0)

南海も京阪に負けず劣らず「物持ちが良い」会社です。思えば私が大学生だった20年前、阪急・京阪・阪神は全てカルダン駆動の車両になっていましたが、南海だけはまだ吊り掛け駆動の車両が残っていました。年代ものの車両の足回りを交換した特急車などもあり、阪和鉄道(現JR阪和線)と覇を競った昔はどこへやら、いささか近代化から取り残されているような趣でした。
1992年に共通仕様の新1000系がデビューするまで、南海の通勤車は南海本線用と高野線用に分けられていました。原則として高野線の形式番号+1000が南海本線用の番号です。7000系は昭和38年デビュー。片開き扉の通勤車としては高野線の6000系と並んで関西では唯一になります。デビュー以来1両も廃車になることなく現在に至っています。急行から普通まで本線系統全線で活躍しています。先頃1編成が緑とグレーの旧塗装になり、ファンの注目を集めています。
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2005.8.29 南海電気鉄道南海本線なんば-新今宮間
7000系の増備車は、ドアが両開きになったため、別の7100系となりました。現在は昭和45年以降にデビューした後期車が活躍しています。7000系とコンビを組むことも多く、南海全体でも最大の勢力を誇る「顔」になっています。
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2005.8.29 南海電気鉄道南海本線なんば-新今宮間
一方高野線。7000系のベースになった6000系が健在です。デビューは7000系の一年前の昭和37年、同期の東急7000系と共に日本初のオールステンレス車(ということは関西初)で、車齢40年を超えて現在も活躍中です。通勤区間の近代化を目的に作られたため、橋本から先の山岳区間には入りません。この車両以降高野線にはステンレス車、南海本線には鋼製またはアルミ製の車両が入るのが原則になりました(現在は共通仕様のアルミ車1000系になっています)。急行から各停(南海では南海本線の列車は高野線乗り入れ時にホームを増設しなかった今宮戎・萩之茶屋には停まらないため、南海本線は「普通」、高野線は「各駅停車」と呼んで区別しています)、泉北高速鉄道への乗り入れと、今でも主力として活躍を続けています。
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2005.8.29 南海電気鉄道高野線今宮戎駅
7000系の7100系にあたる6100系から更新された6300系です。6000系列の車両は橋本から先に入らないので、台車は共通でも支障がないので、6100系は更新時に廃車になった7100系の台車(保守がしやすく乗り心地も良いS型ミンデン台車)に履き替えて、スカートを付けるなどの改造が行なわれています。
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2005.8.29 南海電気鉄道高野線今宮戎駅
どちらの系列も車齢40年、30年と歳を重ねていますが、まだまだ元気です。しかし7000系列は海沿いを走るために腐食が懸念されており(高野線にはステンレス車が入っており、なぜ逆にしなかったのか不思議です)、予断は許せません。
by borituba | 2006-01-30 21:13 | てつどう | Comments(0)

関西の私鉄は総体に「物持ちが良く」、一つの電車を20年、30年と使い続けるのが特徴でもありますが、今日ご紹介する京阪は一度作った車両を非常に大事にするという点でずば抜けています。種車の1810系のデビューから今年で50年になる1900系を筆頭に、車齢30年を越える車両が今なお主力として走り続けています。
京阪は昭和58年まで架線電圧600Vで営業していました。1500Vへの昇圧が関西では最も遅く、現在走っている車両の多くがこのとき更新・改造を経験しています。2200系は私と同い年の昭和39年デビューで、34年デビューの「スーパーカー」2000系がベースの通勤車両で、昇圧時の改造・更新を経て、現在も普通・準急・急行で活躍中です。
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2005.8.27 京阪電気鉄道京阪本線伏見稲荷駅
こちらは1000系。形式としては3代目になりますが、戦前から活躍した2代目1000系を昭和43年に車体更新した700系を昭和52年再更新。台車を履き替えて新性能車となり、昇圧対応や冷房化を施しています。車体はまもなく40歳、台車も来年で30歳ですが、2000系列と同様に現在も活躍を続けています。
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2005.8.27 京阪電気鉄道京阪本線伏見稲荷駅
昭和45年の大阪万博をきっかけに、関西圏の交通はめざましい発展を遂げました。大阪では地下鉄網が整備され、また千里ニュータウンに代表される京阪神間の鉄道沿線の開発が急ピッチで進み、阪急・京阪沿線の街はベッドタウンとして都市化が進み、人口が爆発的に増加、各線の混雑もひどくなりました。当時まだ600Vだった京阪では1編成7両が限界だったため、車両定員を少しでも確保するためにさまざまな工夫がなされました。
その昭和45年にデビューしたのが、初の5扉電車5000系です。ラッシュ時には5扉、閑散時は偶数扉上に格納した座席を降ろして3扉で運転できる画期的な車両で、定員増対応で京阪初のアルミ車体となりました。そのため従来の京阪のスタイルを踏襲しながらも角ばった独特のスタイルとなり、丸みの強い京阪の車両の中で一際目立つ存在です。
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2005.8.27 京阪電気鉄道京阪本線伏見稲荷駅
5000系デビューの1年前、昭和44年デビューの2400系は、2200系の増備車ですが、関西初の通勤冷房車の栄誉を担ってデビュー。屋根上に独立タイプの冷房機ユニットが8基ズラリと並んだ独特なフォルムで、35歳を超えてまだまだ元気。なお、5000系の後昭和58年にデビューした6000系からは全く新しい、平成世代の電車の基本となったデザインとなり、昭和の京阪スタイルの車両で新製された最後のグループになります(2600系は2000系の車体を流用した一種の改造車)。
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2005.8.28 京阪電気鉄道京阪本線丹波橋駅
by borituba | 2006-01-29 02:16 | てつどう | Comments(2)

昨日に続き、阪急の「昭和の電車」6300系です。
阪急京都線は、もともとは阪急でなく、新京阪鉄道としてスタートしました。大阪天神橋(現・天神橋筋六丁目)と京都西院間が昭和5年に開通。翌昭和6年には関西初の地下線として大宮まで延伸しました。このときから国鉄との激しい競争が始まり、両者とも高性能の電車を投入し、新京阪(阪急)は観光地嵐山や京都の中心により近く、さらに天神橋-大宮間ノンストップの超特急を運転。日本の電車史に残る名車デイ100(P-6)が国鉄「流電」52系とデッドヒートを繰り広げました。
戦後、京阪神急行電鉄(阪急)になってからもしばらくはP-6の活躍が続きましたが、2扉クロスシートの京阪の1900系特急車(元祖「ロマンスカー」)のデビューをきっかけに次世代特急車の開発が急がれ、昭和39年に2300系をベースにした特急車2800系がデビュー。京都本線は一気に近代化しました。
大阪万博を挟んで活躍した2800系でしたが、国鉄が急行型153系使用の「新快速」で対抗、京阪も新特急車3000系がデビューし、やや不利になってきました。そこで阪急もより速く、かつデラックスな新特急車を作ることになりました。それが6300系です。
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2005.8.28 阪急電鉄京都本線西京極駅
6300系は、2800系が当時最新の2300系をベースにしたのと同じく、先行の通勤車5300系をベースに開発され、前面のデザインは5300系に準じていますが、腰の尾灯の周囲にステンレスの帯が付けられ、上部前照灯下のラインから上はアイボリーになり、特急車のシンボルとなりました(現在、5000系列以降の車両は全て上部がアイボリーとなり、「チョコパフェ」と呼ばれています)。車内は2800系を受け継ぐ2扉オールクロスシートで、ドア際以外はすべて転換クロスになっています(両端車両運転台直後だけロングシート)。運転台扉の横には独特の「Hマーク」が付けられ(現在は全て阪急の社章に交換されています)、エースとしての威容を誇っていました。
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2005.8.28 阪急電鉄京都本線西京極駅
2800系が特急車としては短命であったのに対して、6300系は30年を越えてまだまだ健在と、物持ちのよい関西私鉄の中でも特急車としては異例と言っていい長寿を誇っています。しかし、JR新快速が圧倒的な速さを武器に京阪神間のシェアを私鉄から奪い始め、阪急特急もかつての烏丸・大宮・十三に加え、桂・長岡天神・高槻市・茨木市が加わって(かつての急行と同じ。代りに大宮を通過)、昔の特急は「通勤特急」「快速特急(京急ファンとしてはちと許せない名前ですが)」にその名残りがありますが、大きく性格を変えてしまいました。後継として登場した9300系は3扉セミクロスシートに「後退」していますが、増備が遅れており、今のところは全車健在ですが、デビュー以来一度も更新されていない6300系は老朽化が進んでおり、動向は予断を許さなくなってきました。しかし、一時代を築いた名車としての地位は不滅で、末永い活躍を祈りたいところです。
by borituba | 2006-01-28 13:55 | てつどう | Comments(0)

昭和の電車グラフィティ、今日からは関西編になります。
関西編第1弾は阪急2300系。阪急の車両を大きく変えた「ニュー阪急スタイル」のスタートとなった車両です。デビューは昭和35年。神戸・宝塚線用の2000系と同時になります。
当時、京都線は直流1500V、神戸・宝塚線は600Vで、京都線用の車両は別に作られました。京都線は開通当初は天神橋(現・天神橋筋六丁目)をターミナルとしており、淡路-十三間は後に作られ、十三延伸後も当初は十三止まりで乗り換え、梅田への乗り入れは昭和34年の梅田-十三間3複線化までは宝塚線の線路に間借りしていました。3複線区間は600Vで開通したため、京都線用の車両は1500V、600V両方の電圧に対応する車両(複電圧車)が必要になり、神戸・宝塚線用とは別の形式がつくられました。区別のため神戸・宝塚用が0番台、京都線用は300番台の形式番号がつけられています(現在は全線1500Vになり、複電圧車は不要になりましたが、区別は現在も受け継がれています)。
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2005.8.28 阪急電鉄嵐山線松尾駅
ノーシル・ノーヘッダー、アンチクライマーもないつるりとしたボディ、正面上部に2灯がはめ込まれ、正面3枚窓の貫通型、貫通扉を挟んで両側に緩く角度がついて、全体に丸みを帯びた優美でスタイリッシュなデザインは、新時代の阪急電車のシンボルになりました。
その後、2800系(戦後初の特急専用車。すでに廃車)、3000(3300)系、5000(5300)系、京都線用特急車6300系など阪急の主力車両はすべてこのスタイルがベースで作られていました(現在は製造会社がアルナ工機から日立に変わったため正面のスタイルは変わっています)。5000系以降は種別・行先が幕になり、前照灯両側に取り付けられ、ちょっとイメージが変わりました。種別・行先幕がなかった2000・3000系列の車両も、順次改造されています。現在は本線を走る車両はすべて改造済みになっています。
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2005.8.28 阪急電鉄京都本線西京極駅
現在では、原型を保っている2300系は嵐山線の4連1編成だけになってしまいました。昨年夏に関西へ行った時、嵐山線でかなりの枚数を撮影しましたが、原型車同士の並びはこの一枚だけです。もう2度と見られない並びだけに撮れたのは非常にラッキーでした(右の2301編成が昨年10月に引退)。2300系自体も車齢が40年を越え、物持ちの良い関西私鉄にあっても最古の部類に入ることから、最新の9300系の増備により置き換えが進んでいます。
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2005.8.28 阪急電鉄嵐山線上桂駅
by borituba | 2006-01-27 23:31 | てつどう | Comments(0)

今日の「昭和の電車」は撮って出し、営団地下鉄(現・東京地下鉄)5000系です。
5000系は私と同い年、昭和39年デビュー。同年12月23日の東西線の開業当初は高田馬場-九段下間の部分開業だったため、道路に穴を開けてクレーンで車両を吊り下ろすという方式をとり、話題となりました。昭和40年以前に開業した東京の地下鉄で、開業時の車両形式が残っているのは現在東西線の5000系だけになりました(銀座線、丸の内線、日比谷線はすでに全車世代交代が完了している)。
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2006.1.26 東京地下鉄東西線西葛西駅
5000系は一部が試験的にアルミ車体で作られましたが、デビューからの量産車両は鋼製のフレームにステンレスの外板を張った「スキンステンレス車」で、全通時には西船橋で国鉄(現・JR東日本)総武線、中野で同中央線と相互乗り入れすることが決まっていたため、営団初の20m車となりました。
東西線は東京の地下鉄では珍しく、地上区間(相互乗り入れ区間は除く)が長く、全長の1/3以上(南砂町-西船橋間)が地上です(おかげで撮影が非常にしやすくなっています)。これは、当時の地下鉄技術では海沿いの軟弱地盤の掘削が難しかったことと、当時はまだ沿線は未開発の土地が多く、地上を走ったほうが安上がりだったということです。当初南砂町-西船橋間は4駅しかありませんでしたが、その後の沿線の開発はめざましく、現在は西葛西、南行徳、妙典の3駅が新設され、東京地下鉄唯一の快速運転(イベント用臨時列車を除く)も、当初は東陽町-西船橋間ノンストップだったのが、現在ではすべて浦安に停車。西船橋-浦安間各駅停車の「通勤快速」や、96年開業時から相互乗り入れを開始した東葉高速鉄道(西船橋-東葉勝田台間)内も快速となる「東葉快速」などバリエーションも増え、千葉県と都心を結ぶ大動脈となりました。
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2006.1.26 東京地下鉄東西線西葛西駅
昭和だけでも四半世紀近くがんばってきた5000系も、昭和末の63年に登場した新世代の05系の台頭で減少が続き、残った車両も風前の灯火状態になっています。前面をガラリと改造して東葉高速鉄道に移籍(1000系)した仲間も、東京地下鉄05系をベースにした2000系の増備で、5000系同様終焉が近づいてきています。
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2006.1.26 東京地下鉄東西線西葛西駅

1/31追記:その後中央線阿佐ヶ谷駅にてアルミ車も撮影することができました。しかし5000系は05系やJR東日本E231系に混じると歪みや汚れが目立ってなんだか哀れに見えます。昨年引退した京急700形が最後の最後まできれいであっただけに一層哀れです。なんとかきれいにして有終の美を飾ってほしいものです。
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2006.1.30 中央本線阿佐ヶ谷駅
by borituba | 2006-01-26 20:02 | てつどう | Comments(4)

昨日に引き続き京王の「昭和の電車」井の頭線3000系「ステンプラカー」です。
3000系のデビューは昭和37年。今回ご紹介している「昭和の電車」の中では最も古いデビューになります。東急車輛が実用化に成功したオールステンレス車体をいち早く導入。東急7000系に続く日本で2番目となりました。
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2006.1.24 京王電鉄井の頭線浜田山-高井戸間
当初からの15編成は4両固定編成、その後の14編成は5両固定編成で、分割併合を行なわないので前面は非貫通。いわゆる「湘南顔」で、京王の伝統的なフォルムを踏襲しています。最大の特徴は顔の上半分に付けられたFRP製のマスクです。先頭車の番号末尾によって、ラベンダー、スカイブルー、アイボリー、ライトグリーン、サーモンピンク、ベージュ、ブルーグリーンの7色が付けられて、銀一色のステンレスカーの味気なさを解消。「何色がくるかな?」と子供たちや女子校生などにも人気で、路線のイメージアップにも一役買っています。私はこのラベンダーが好きです。
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2005.4.8 京王電鉄井の頭線井の頭公園駅
カラーマスクは井の頭線のシンボルとなり、3000系の後継1000系はアルミ車体ですが、前面のカラーマスクは引き継がれ、7色の電車が渋谷と吉祥寺を走り抜けています。
3000系はステンレスカーということで寿命が長く、また本線とは別に成り立った(幻の「山手急行」の一部を担うはずだった)ことで1067mm軌間であることで、初期の車両の一部は北陸鉄道や上毛電鉄に移り、カラーマスクはそれぞれの会社のイメージカラーになっています。現在井の頭線にいる3000系は昭和55年以降に増備された車両で、前面窓を両端まで広げ、これも京王好みの曲面ガラスに交換した「ワイド窓改造」された更新車両で、界磁チョッパ制御になっています。
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2006.1.24 京王電鉄井の頭線浜田山-高井戸間
長年活躍してきた3000系ですが、すでに半数が譲渡や廃止となり、1000系の台頭で少しづつ数を減らしています。本線ではすでに5000系が消滅したことで、昭和の京王フェースの最後の生き残りになった3000系の末永い活躍を祈ります。
by borituba | 2006-01-25 12:11 | てつどう | Comments(0)

今日の「昭和の電車」は、現在京王本線でで最古の車両になった6000系です。画像はすべて今日の撮って出しです。
デビューは昭和47年。小田急9000系がほぼ同期で、ローレル賞を最後まで争ったライバルでした。旧型車の置き換えと、5000系の後継車として増備され、特急から普通まで使用されました。
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2006.1.24 京王電鉄京王線明大前駅
昭和53年、新宿駅の拡幅を兼ねた新線が開通、翌々年の昭和55年には都営新宿線が開通し、相互乗り入れを開始しました。京王では新たな乗り入れ用車両を作らず、6000系の増備で対応しました。そのため、6000系には乗り入れ対応車両と非対応(地上専用)車両がありますが、外観上は全く違いはありません。
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2006.1.24 京王電鉄京王線明大前駅
6000系の特徴は、旧型車とも5000系とも違う直線的なフォルムと、左右非対称の個性的な顔です。小さい方(運転台と反対側)の窓下の車両番号は、かつては先輩5000系や井の頭線3000系と同じ独特の「京王字体」でしたが、8000系が登場してから順次現在のゴシック体に交換されています。6000系のフォルムは後輩の7000系(昭和59年デビュー)に受け継がれましたが、平成になってからの8000系では全く違うデザインになりました。そして最新の9000系では、曲面ガラスに小さな貫通扉、という5000系のフォルムに「先祖返り」しています。
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2006.1.24 京王電鉄京王線明大前駅
デビュー以来30年以上活躍を続ける6000系ですが、後継車の増備で、地上専用の編成を中心にすでに1/3が引退。乗り入れ車も最新の9000系が乗入れ対応でデビューしており、都営線側の対応も終わったため、増備の進捗次第では予断を許さない状況になっています。
by borituba | 2006-01-24 21:55 | てつどう | Comments(1)

営団地下鉄(現東京地下鉄)は、昭和40年代以降千代田線、有楽町線、半蔵門線、南北線が次々に開通。都営線と共に都電がなくなった後の都心の交通網の再構成が進みました。
昭和44年、東西線の全通と同時に開通した千代田線は、当初は東西線用の5000系を使用していましたが、専用の電車の開発が急がれ、試作車を経て昭和46年に正式デビューしたのが6000系です。
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2005.10.20 常磐線馬橋駅
地下を走ることが多い地下鉄車両にとって、重要な課題は「放熱」-車両から発生する熱をどう抑えるか、またどう逃がすか。ということです。従来の抵抗制御方式では、抵抗器からの発熱が大きく、冬場はともかく、夏場などは床下からの「ムワッ」とした熱風に辟易したものでした。6000系は、抵抗制御に代る新しい制御方式-サイリスタチョッパ制御を採用。床下から発生する熱を大幅に削減することに成功しました。
また、新しい地下鉄、と言うにふさわしい斬新なデザインの車両は、以後の電車のフォルムに大きな影響を与えました。6000系のあと、営団は昭和が終わるまでこのデザインを基に車両を作り続けました。
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2005.4.22 小田急電鉄小田原線喜多見駅
昭和49年、有楽町線が池袋-銀座一丁目間で部分開通。6000系をベースにした7000系がデビューしました。有楽町線は、丸の内線の池袋-銀座間の混雑緩和や江東地区と都心の連絡を担って計画されましたが、池袋口の相互乗り入れ相手をめぐって二転三転し、結局当初は東武東上線と直通、都心への乗り入れで東西線に「振られた」西武は自前で連絡線を建設してまで乗り入れて(現在も練馬-小竹向原間は「西武有楽町線」になっています)来ました。
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2006.1.12 東京地下鉄有楽町線和光市駅
7000系は6000系の双子の兄弟と言えるほどよく似ていますが、6000系では車両番号が入っている上部のスペースに「種別窓」が切られています。しかし、東上線内では普通のみの運用で(当初計画では乗り入れ駅は上板橋で、急行の運転も想定されていた)、西武への乗り入れは練馬駅の高架化完成が大幅に遅れたために長らく練馬止まりの「片乗り入れ」状態が続き、結局使われないまま行先幕が併記が可能なLED化されて「幻の種別幕」になってしまいました。
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2005.5.24 西武鉄道池袋線富士見台駅
「6000系兄弟」の末っ子8000系がデビューしたのは昭和56年。すでに昭和53年に渋谷-青山一丁目間で営業を始めていましたが、わずか二駅の部分開業で、同時に開通した東急新玉川線(現田園都市線)の延長線のような扱いで、東急の8500系電車がそのまま乗入れていました。開業時にはデザイン画だけが発表され、「幻の新型車両」といわれていました。
結局、3年後にやっとデビューしましたが、故障が多かったり、鳴り物入りで採用したボルスタレス台車も強度の関係で100キロまでしか出せず、踏切がない高速路線である田園都市線では8500系との性能差でダイヤ上のネックになるなど、「不肖の弟」になってしまった感があります。
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2005.6.14 東急電鉄田園都市線たまプラーザ駅
6000系、7000系は後継の06系、07系がデビューしましたが、増備はされておらず、試作車を含め全車両が健在。まだまだ主力として大いに活躍しています。一方8000系には東西線05系ベースの08系が登場。こちらは増備が続いており、ひょっとすると意外に短命に終わる可能性があります。
by borituba | 2006-01-23 23:23 | てつどう | Comments(1)

昭和の電車シリーズもはや5回目。今日は113系です。東京口の湘南色は何度かご紹介していますので、今回は横須賀線のラインカラー「スカ色」の車両をご紹介します。
113系はいわゆる「近郊型」車両の草分けである401系交直流電車の直流版として昭和37年に登場した111系電車の発展形として昭和38年にデビューしました。通勤型の103系とともに大量に製造され、東京近郊から吊り掛け車両を淘汰しました。
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2005.12.13 内房線本千葉駅
その後、横須賀線の総武線直通・東京地下駅乗り入れ対応の1000番台、1500番台、2000番台、雪の多い湖西線用の700番台、2700番台など、さまざまなバリエーションが作られました。タイフォンの位置やアンチクライマーの羽根数など微妙な違いがあります。
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2005.12.13 内房線本千葉駅
長年横須賀線の顔として活躍してきた113系ですが、1994年にデビューしたVVVFインバータ制御のE217系に後を譲り、1999年に本家から撤退。現在では千葉発の総武本線、外房線、内房線の普通電車用として6~8連で活躍しています。
東京駅からは撤退した113系ですが、一日に1本だけ、江戸川を越えてくる電車があります。千葉以遠のキオスクに夕刊を運ぶため、両国まで回送される「新聞列車」です。両国駅の頭端式ホーム(以前はここが総武本線の正式な起点でした)で先頭車と最後部に新聞を満載し、千葉に戻るとその他の車両は乗客を乗せて普通電車となります。新聞を積んだ部分のドアは降ろさない駅では締め切りになります。
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2005.5.21 総武本線錦糸町駅
by borituba | 2006-01-22 23:39 | てつどう | Comments(4)