<   2005年 12月 ( 27 )   > この月の画像一覧

上野動物園を訪ねたのは、いよいよ夏本番の7月。上野に限らずしろくま君はどこでも早くも夏バテ気味。やはり水の中がいいようで、ずーっと水の中で遊んでいました。北極の王者もこうしてみるとまあ可愛いものですね。
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2005.7.5 上野動物園

今年話題になった動物その2。「動かない」ことで有名になったハシビロコウです。
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2005.7.5 上野動物園

マウンテンゴリラは、ジャングル育ちのせいか蒸し暑さには負けませんが、直射日光は応えるようで、日陰を選んでは休んでいます。シルバーバックと呼ばれる雄の成獣はじーっとして沈思黙考しているように見えます。その姿はよく「哲学者」にたとえられますが、実は何も考えてなく、リラックス状態、つまりは寝てるのと同じらしいのですが…
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2005.7.5 上野動物園

東武動物公園では、内陸の動物園には珍しくアシカショーを行なっています。アシカ君はこの暑さにも元気一杯。水しぶきをあげてジャンプ一番!スポーツモードの機能をフル活用して撮った決定的瞬間でした。
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2005.7.29 東武動物公園

八景島では本館のショーステージの他に、別館でイルカを展示しています。シロイルカが目の前を横切った瞬間を一枚。愛嬌たっぷりの表情を収めることができました。
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2005.8.9 八景島シーパラダイス

カマイルカはバンドウイルカより小さく、すばしっこく水槽の中を泳ぎまわっています。なかなかうまく撮れませんでしたが、ときどき「休憩!」という感じで動きを止めることがあり、そこを狙っての一枚です。
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2005.8.9 八景島シーパラダイス

今年はデジカメでの写真撮影開始元年ということで、いろいろ試行錯誤の繰り返しでしたが、来年はこの経験を生かしてよりよい写真を撮りたいとおもいます。みなさまどうぞ良いお年をお迎え下さい。
by borituba | 2005-12-31 13:25 | どうぶつ | Comments(0)

6月後半から8月にかけて、動物園や水族館へ行きました。実は私は動物園・水族館が大好きで、機会あるたび訪ねています。動物はこちらの思い通りの動きをしてくれないので、一瞬の動きを逃がさず撮らなければなりません。そこが難しくも面白いところです。

一度行きたいと思っていた「ズーラシア」に行ったのは、梅雨の晴れ間というにはあまりに暑い6月の下旬。ここから「夏の動物園行脚」が始まりました。暑さには慣れっこのはずの象さんもさすがに急な暑さは応えると見えて、盛んに水浴びをしていました。
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2005.6.20 よこはま動物園「ズーラシア」

「ズーラシア」には象、虎、ライオンなど有名な動物に混じって、あまりなじみのない珍しい動物もいます。これはキノボリカンガルー。カンガルーというとぴょんぴょんと飛び回る姿を思い浮かべますが、これは飛び回らない代わりに前足も発達しており、主に木の上で生活しています。なーんて能書きはともかく、よく見ると、実にどうもご立派なものをお持ちです。「珍しいな」と思って撮っただけなんですが、帰ってPCに落としてみたら気がついた次第。失礼しました…
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2005.6.20 よこはま動物園「ズーラシア」

多摩動物公園の名物ライオンバス。ガラス1枚隔てて百獣の王の姿を観察できます。お腹が空いていなければ、ライオンもネコ科の一員。バスの中の「裸のサル」が珍しいのか直前まで迫ってきて、中にはこうして鼻面をくっつけてくるのもいました。
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2005.6.24 多摩動物公園

今年話題になった動物その1。レッサーパンダはジャイアントパンダの陰にかくれて目立たぬ存在でしたが、今年になって「立つ」姿がカワイイと大人気になり、レッサー君がいる動物園ではどこでも人々が足を止めるようになりました。また、待遇も良くなったようで、私は以前からレッサー君のファンだったので、この節の「復権」は嬉しい限りです。
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2005.6.24 多摩動物公園

多摩で一番目を引いたのがこのぺりかん君。なぜかはわかりませんが、私が撮るまでずーっとバタバタと羽ばたいては「クヮックワッ」と鳴いていました。今年の動物画像の中の文句なし、君がMVPですよ。
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2005.6.24 多摩動物公園

キリンやシマウマなどサバンナの動物たちは、広場に集められています。お食事の時間とあって、キリンたちが集まってきました。一頭のキリンにカメラを向けると、横の2頭がにゅっと首を出しました。なんだかキングギドラみたいですね。
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2005.6.24 多摩動物公園
by borituba | 2005-12-30 18:23 | どうぶつ | Comments(0)

昨日に引き続き、今年の撮影の中のベスト12。今日は10月以降の画像です。
10月から名撮影地西浦和での撮影を始めました。国鉄色や更新色、さらには新世代機に試験塗装などなど…電機はカラフルになりましたね。EF65の試験塗装1059号機、「鉄」の間では「センゴック」などと呼ばれているようです。
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2005.10.20 武蔵野線西浦和駅

私が高校生の頃、華々しくデビューした元祖「省エネ電車」201系も、四半世紀が経ち、ついに置き換えが発表されました。御茶ノ水は都心には珍しい緑に包まれた駅。あと1年、四季の移り変わりと共に撮っていきたいものです。
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2005.11.4 中央本線御茶ノ水駅

鉄道を撮り始めてから何度も訪れた八ツ山橋。京急に集うさまざまな電車たちの数々を撮ってきましたが、なんといっても日本民鉄史に残るであろう名車1000形は今なおその輝きを失いません。
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2005.11.4

日本の電車の歴史を変えたと言っていいVVVFインバータ制御の実用化と、世界的な「ECO」の流れに押し流されるようにして旧来の抵抗制御車がぞくぞく現役を退いています。私の「分身」京急700形は大師線を終の棲家に活躍していましたが、11月28日を最後についに引退しました。先頭車など一部は琴電に行くようですが、「赤い電車」として走る姿はもう見ることはできません。
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2005.11.25 京浜急行電鉄大師線京急川崎駅

こちらもカウントダウンが進む東京口の113系湘南色。思えば80系電車以来、半世紀以上東京駅の、いや日本の鉄道の「顔」と言ってもいい色が消えようとしています。アルミやステンレス製車両の台頭でますます電車から「色」が失われていくのは寂しいものです。
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2005.12.9 東海道本線川崎-横浜間(京浜東北線新子安駅)

そして、今日…今年の撮り納めとして選んだのは、やっぱり八ツ山でした。羽田空港の第2ビルの完成を機にデビューした「青い京急」。期間限定で虹のラッピングを施した2100形第8編成。これで今年は撮了です。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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2005.12.29 京浜急行電鉄本線品川-北品川間
by borituba | 2005-12-29 21:25 | てつどう | Comments(2)

今年もおしつまりました。
4月からデジカメで写真を撮り始めて、季節と共にさまざまな車両を撮ってきました。そこで、そんな中から12枚を選んでみました。順不同、12枚には順位つけていません。

写真を撮り始めたころ、ちょうど桜が満開となり、京急富岡付近へ撮りに行きました。参考にしていたサイトの写真だけを頼りにさまよっていたときに、きれいな一本桜があり、花を撮っていたら、ちょうど2100形快特が来たので、花を絡めて一枚撮りました。他にも桜と電車を何枚か撮りましたが、雰囲気が一番よかったのがこの一枚。しばらくPCの壁紙にしていました。
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2005.4.7 京浜急行本線杉田-京急富岡間

新大久保で山手線を待っていたら、一天にわかにかき曇り、アッという間に豪雨に。ダメもとで埼京線や山手線を撮ってみたら、かなり迫力のある画が撮れました。
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2005.5.24 山手線新大久保駅

停看聴老師の「尾久の細道」シリーズにインスパイアされて、なんどか訪れた尾久界隈。その中で見つけた踏切で「北斗星」や「カシオペア」を何枚か撮りました。いつもは目標を定めずに来たものを撮る気まぐれ撮りをもっぱらにしていますが、通過時間を計って、待って撮ったのはこれが初めてでした。
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2005.5.27 東北本線尾久-赤羽間

大学入試以来定宿にしていたYHが閉館するというので、急遽京都へ行ったのは残暑厳しい8月の末でした。YHを拠点に京都、大阪で撮影をしました。京都では阪急嵐山線で引退が迫っていた2300系未更新車を各駅で降りながら撮りました。大阪では環状線大正駅で103系や特急「くろしお」「はるか」などを撮ってきました。特異な形の木津川橋梁を絡めての撮影は楽しいものでした。
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2005.8.28 阪急電鉄嵐山線嵐山駅
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2005.8.29 大阪環状線大正駅

関西に行っていたころ、関東ではつくばエクスプレスの開通で大騒ぎになっていました。開業から2週間ほどたった9月の中旬、まずつくばまで快速で乗りとおし、130キロの衝撃的なスピードを体験、帰りに何箇所か撮ってみましたが、流山おおたかの森駅で夕日を浴びる列車を撮りました。周りに高い建物がないので光線もうまく当たってキレイにきまりました。
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2005.9.12 つくばエクスプレス流山おおたかの森駅
by borituba | 2005-12-28 23:39 | てつどう | Comments(2)

ひっそりと消え行くもの

近頃は各社で電車の世代交代が進んで、馴染みの車両が消えています。それにつれて消えて行くものがあります。それが今日ご紹介する「アンチクライマー」です。
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2005.12.26 京浜急行新町検車区
アンチクライマーは本来は保安用の部品で、車のバンパーに当たる役目を持っています。衝突した時の衝撃を台枠に逃がして運転台がつぶれるのを防ぐためのものです。これがある電車はいかにも頑丈そうな感じがして「武骨」な印象を受けます。反対にない車両は、スマートな印象になります。
「あり」の代表はアンチクライマーの存在がシンボルにまでなっていた京急です。2000形までの車両には必ずついていました。
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2005.12.26 京浜急行電鉄本線横浜駅
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2005.7.21 京浜急行電鉄大師線京急川崎-港町間
もう一つ「あり」の代表がJR(国鉄)113系。今残っている東京口の湘南色はステップ兼用といっていい1枚羽根です。
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2005.12.1 東海道本線川崎-横浜間(京浜東北線新子安駅)
一方、千葉口のスカ色のなかにはなんと4枚羽根の車両があります。
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2005.12.13 内房線本千葉駅
「なし」のほうの代表もこれまた京急。2代目600形以降は「なし」派に転向しました。もともと独自の保安態勢で衝突事故が非常に少ない京急ではもはや無用となったのでしょうか。
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2005.11.4 京浜急行本線品川-北品川間
「なし」の代表をもう一つ。小田急は鋼製車両の5000系、9000系を含めて「なし」派です。これも沿線の雰囲気に合わせているのでしょうか。
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2005.10.3 小田急電鉄小田原線参宮橋駅
by borituba | 2005-12-27 23:23 | てつどう | Comments(0)

「踊りの神様」と称された七代目坂東三津五郎の紋「三ツ大」です。本来「三ツ大」は、下が一つで上が二つ(画像と逆)なのだそうですが、末広がりで座りがいいことと、かつて石田三成の紋所だったことから、江戸時代以降はこちらの方が使われるようになりました。
日本舞踊の四大流派(藤間・坂東・西川・花柳)のうち、家元が役者と舞踊家を兼ねているのは藤間(家元は現松緑)と坂東がありますが、藤間は勘十郎(宗家)派と勘右衛門(家元)派に分かれて久しく、名跡が役者と一緒なのは坂東だけです。
「三津五郎」という名前は、三箇津(さんがのつ)、すなわち江戸、京都、大阪の三都で曽我五郎を踊ることを許された。ということが由来になっています。初世以来踊りの名手として代々が活躍し、大正から昭和前半にかけて活躍した七代目は、飄逸な芸風とすぐれた踊りの技術が持ち味で、同世代で同じく舞踊を得意とした六代目菊五郎と共に「棒しばり」に代表される楽しい舞踊劇を創造。また単独でも「喜撰」や「時雨西行」など雅趣あふれる舞踊(若い頃は「源太」などのきびきびした踊りも得意であった)が絶賛されました。現在、六代目の孫の現勘三郎と七代目の曾孫の現三津五郎(互いに同い年)が往年の名コンビの復活とたたえられています。
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2005.12.15 東京地下鉄銀座線田原町駅
by borituba | 2005-12-26 09:34 | おしばい | Comments(0)

山川静夫氏は著書の中で「七代目幸四郎がいなかったら、歌舞伎はどうなっていただろうか」と述べています。六代目菊五郎や初代吉右衛門が歌舞伎という芸のゴッドファーザーでありながら、子宝に必ずしも恵まれていたとはいえなかったのに対し、七代目幸四郎は偉大な後継者を3人も世に出し、世襲という国際的には非常に特殊な芸能である歌舞伎に偉大な足跡を残すことになりました。紋は「四ツ花菱」です。
九代目團十郎の門弟だった七代目幸四郎は、師匠の提唱した「演劇改良運動」の方針で門閥出身でないにもかかわらず異例の出世を果たしました。そこには血のにじむような努力がありましたが、初代吉右衛門とともに九代目の肚芸を受け継ぎ、重厚な英雄を得意にしました。一方で吉右衛門がやらなかった舞踊に無類の才能を示し、藤間流の家元「勘右衛門」の名跡を継承。「関扉」の関兵衛など舞踊劇でも活躍、中でも「勧進帳」の弁慶は六代目の義経、十五世羽左衛門の富樫と共に「三絶」と言われました。
七代目幸四郎には3人の男子が生まれました。長男は市川宗家の名跡を預かっていた五世市川三升の養子となり、市川海老蔵時代「海老さま」と称されて戦後第1次の歌舞伎全盛期を代表する役者になりました。養父に十世を追贈して十一世團十郎を襲名しましたが、数年で夭折してしまいました。一人息子が現團十郎、現海老蔵は孫になります。現海老蔵は、十一世を知る人たちから「おじいちゃんそっくり」と言われますが、十一世はもっとシャープで透き通るような美貌だったそうです。
次男は幸四郎の名跡を継ぎ(八代目)、父のレパートリーの中では重厚な英雄役を受け継ぎ、熊谷、盛綱、松王の三大首実検などを当たり役にしました。また、初代吉右衛門の女婿となり、さらに重厚な芸を身に着け、「級長役者」と言われました。また、歌舞伎の革新にも熱心で文楽座との共演などタブーを打ち破るチャレンジ精神は「夢の仲蔵」シリーズやミュージカルに挑戦する長男の現幸四郎、次男で岳父の養子となり、松貫四の名前で狂言の創作を行なっている現吉右衛門に、さらに舞踊公演のプロデュースや「阿修羅城の瞳」への出演など意欲的な現染五郎へと受け継がれています。
三男は六代目の門下生になり、二世松緑を襲名、3度の兵役など苦労をしましたが、父の時代物に加え、六代目の世話物を受け継ぎ、「髪結新三」「文七元結」などを得意にしました。また、父を早く失った現團十郎の後見人となり、十八番物を伝え、現我當など門下生も多数活躍しています。一人息子の初代辰之助(没後三世松緑を追贈)は陰影の濃い劇的な口跡で人気を集め、現菊五郎(菊之助)、現團十郎(新之助)と共に「昭和の三之助」と呼ばれた花形でしたが夭折し、孫の現松緑が逆に現團十郎や現菊五郎の薫陶を受けて現在活躍中です。また父の藤間勘右衛門を受け継ぎ、多くの舞踊家を育てました。勘右衛門の名は初代辰之助を経て現松緑に受け継がれています。
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2005.12.15 東京地下鉄銀座線田原町駅
by borituba | 2005-12-24 13:00 | おしばい | Comments(0)

田原町駅の紋章は、浅草行きホームには主に歌舞伎の立役、上野方面行きホームには女形と歌舞伎役者以外の邦楽関係・新派役者の紋、劇場の座紋が飾られています。その中で浅草行きホームに飾られている歌舞伎以外の紋があります。それが「新国劇」の祖である沢田正二郎です。この「柳に蛙」の紋は正式には劇団「新国劇」の座紋になります。
「新国劇」と言っても若い方にはなじみがないでしょう。明治以降、九代目團十郎が坪内逍遥や福地桜痴らと進めた「演劇改良運動」の中で、歌舞伎は国技(相撲)と同様に「国劇」と呼ばれるようになりました(今日でも大学の歌舞伎研究会が「国劇部」などと名乗っているのはその名残りです)。開成中学(旧制)から早稲田大学を出た当時としては非常にインテリだった沢田は、明治以後の壮士劇に影響を受け、歌舞伎より大衆的かつ文学の薫り高い演劇=新しい国劇=新国劇を創造し、当初は苦労しましたが、殺陣をよりリアルでスピーディーなものに洗練して一方の売り物とし、爆発的な人気を博しました。インテリ沢田が旧来の演劇を打ち破って新しい劇を作る間の苦悩や葛藤、周囲との確執は、名作「殺陣師段平」に描かれています。
その後、新国劇は「極付 国定忠治」や「月形半平太」、名座付作者長谷川伸を得ての「一本刀土俵入」(長谷川門下の池波正太郎も座付作家として活躍)、殺陣の様式美を集大成した「殺陣 田村」など傑作を次々に発表、沢田の後継者である辰巳柳太郎、島田正吾の二大巨頭の競い合いがさらに劇団を発展させました。しかし、二人に続く後継者が伸び悩んだことで劇団が衰退し、ついに解散しました。
座紋の「柳に蛙」は、小野東風の故事にちなみ、「常に努力を忘れぬように」との決意を示す沢田の魂の象徴です。
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2005.12.15 東京地下鉄銀座線田原町駅
by borituba | 2005-12-23 22:17 | おしばい | Comments(0)

田原町シリーズは一日お休みです。
今日は小田原まで行ってきました。行きは東京から113系快速「アクティー」。多分人生最初で最後のグリーン車体験乗車です。小田原まで約1時間15分。座り心地は以外に良く、久しぶりに「旅」の気分を楽しみました。しかし、普通グリーン車の設備は阪急6300系や京阪8000系などとほぼ同程度。改めて関東と関西の「格差」を感じたことでした。
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2005.12.22 東海道本線東京駅
このところ寒波が猛威を振るい、昼間でも凍て付くような寒さが続いています。しかし、「デッキ」があるだけでグリーン車内は別天地。ぽかぽかと暖かく、これだけで950円の価値ありです。
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2005.12.22 東海道本線東京駅
小田原では新幹線の撮影をしました。いつも撮っている電車の最高速は京急快特が120キロ、一度だけ撮ったTX快速が130キロ。しかし今日は200キロの新幹線。どうなるかと思いましたが、見えてから目の前に来るまでの準備時間が少なくなったくらいで、余裕を持って準備すれば意外なほど決まりました。
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2005.12.22 東海道新幹線小田原駅
後半は箱根登山鉄道を少し。大平台まで行ってきました。登山鉄道で引き返すつもりでしたが、帰りのロマンスカーの時間が迫り、それでは間に合わない!結局一枚だけ撮ってバスで引き返しました。バスに乗ると下り坂とはいえたった10分で湯本駅に戻れました。おかげでロマンスカーに間に合いましたが、道さえ空いていればバスは速い。登山鉄道にとっては脅威ですが、箱根の道は一本道で渋滞すると身動きが取れなくなるので、観光シーズンには登山鉄道が威力を発揮します。
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2005.12.22 箱根登山鉄道大平台駅
帰りは箱根湯本から小田急ロマンスカー。今年中に一度は乗ろうと思っていたVSEです。小田急は今あちこちで高架・複々線化を行なっており、VSEといえどもそのスペックを存分に発揮しているとは言い切れません。しかしそれを補って充分に余りある車内設備の見事さ!現在日本で走っている昼行の特急で最も豪華と言って過言でないと思います。画像ではわかりにくいですが、座席が完全な直角ではなく、絶妙な角度で窓に向いています。こういうことは実際乗ってみないとわかりません。
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2005.12.22 小田急電鉄50000系「VSE」車内
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2005.12.22 小田急電鉄新宿駅
by borituba | 2005-12-22 21:46 | てつどう | Comments(1)

六代目菊五郎の盟友にして最大のライバルが、初代中村吉右衛門です。
明治期に大阪から東京に移ってきた役者たちの中に、3世中村歌六という役者がいました。上方では花形だったのですが、老境に入って脇役や老け役を能くし、往年の技巧派の片鱗をみせました。
歌六には3人の男子がいました。3人とも役者に、そして一人は骨太の立役、一人は真女形、一人は技巧派の兼ネル役者と、3様の大看板に成長しました。それぞれ初代吉右衛門、三世中村時蔵(萬屋錦之助の父、現時蔵、現獅童の祖父)、十七世中村勘三郎。いずれも昭和を代表する名優です。
初代吉右衛門は、ほぼ同世代の六代目菊五郎と市村座の花形として競い合いました。世話物と踊りを売り物にした万能型の六代目に対し、踊りは全くやらず(歌舞伎の役者としては極めて珍しい)、時代物の英雄を本領としたのが初代吉右衛門でした。その芸風は重厚そのもので、九代目團十郎亡き後、團十郎の「肚芸」を受け継ぎ、「英雄役者」の名をほしいままにしたのです。盛綱、熊谷、松王、大星、光秀といった時代物の大役は勿論、九代目の「活歴」で数多く登場する加藤清正、世話物でも「髪結新三」の源七や「三人吉三」の土座衛門伝吉といった腹に一物ある役を得意とし、相手役の六代目との丁々発止の渡り合いは昭和前半期の歌舞伎の精髄として満都の喝采をあつめました。
その重厚な肚芸は、女婿の八世幸四郎を経て孫の現幸四郎、養子として直接の後継者となった現吉右衛門(こちらは踊りも能くし、「勧進帳」や「関扉」などで高く評価されています)に受け継がれています。
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2005.12.15 東京地下鉄銀座線田原町駅
by borituba | 2005-12-21 23:23 | おしばい | Comments(0)