80年前のラ・フォルネ

物置を整理していた父が、こんなものを見つけてきました。
d0044222_1143268.jpg
2007.4.21
これは、大正14年5月の歌舞伎座の「筋書き」です。その中に、とても興味深い記事が載っていました。
「日露交驩交響管絃楽演奏會」という、大正14年4月に行なわれたコンサートの紹介が載っています。
d0044222_1244877.jpg
2007.4.21
まず、オーケストラのコンサートの会場が歌舞伎座、というところに驚かされます。当時は大規模なコンサートを行なえる大ホールはなく、劇場を使うしかなかったのです。歌舞伎座は当時の都心に近く、足の便がいいので、こうした公演にはよく使われたようです。昭和15年の「皇紀2600年」関連の音楽会も歌舞伎座が使われています。
d0044222_1224134.jpg
2007.4.21
もう一つの注目が、その内容です。当時のソビエトから音楽家を招いて、日本の音楽家との合同でオーケストラ公演を行なったのですが、まだショスタコーヴィチもプロコフィエフも出世前で、曲目にはベートーヴェンやワーグナー、チャイコフスキーなどが並んでいます。
そんな中で面白いのが、カリンニコフが取り上げられていること。チャイコフスキーの後継者と期待されながら、35歳の若さで夭折し、最近まで「秘曲」扱いだった交響曲第1番が演奏されています。逆に当時は人気曲であったゴルトマルクの「シャクンタラー」序曲が演奏されていますが、こちらはすっかり忘れられており、クラシック音楽にも「流行」が存在することがわかります。
また、記事のなかで、ベートーヴェンの「第7交響曲」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」、R.シュトラウスの「サロメ(多分「7つのヴェールの踊り」)」、ムソルグスキーの「禿山の一夜」が日本初演であること、そして「難曲」と表現されていることが興味深いですね。今やジュニア・オーケストラの子供たちが易々と弾いてしまう曲が、当時は難曲として、外国の演奏家の力を借りてようやく初演できた…というのが驚きです。
指揮は近衛秀麿と山田耕筰ですが、山田はまだ上に竹カンムリを付ける前で「耕作」の時代です(「耕作」だと貧相で田舎臭いので「耕筰」に改名したというエピソードがあります)。二人とも日本のクラシック音楽史上に残る名指揮者、作曲家ですが、当時は新進の売れっ子音楽家でした。そんな二人が揃い踏みで登場するところに日本側の意気込みが感じられます。
d0044222_1315354.jpg
2007.4.21
by borituba | 2007-04-22 13:02 | おんがく | Comments(0)