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シリーズ地下鉄80年-その8

池袋に2本目の地下鉄、有楽町線がやってきたのは昭和49(1974)年のことでした。私は当時10歳。
開業当時、今の南地下道は完成しておらず、工事現場のフェンスに囲まれた殺風景な中に出入り口がポツンと建っていました。ホテルメトロポリタンや東京芸術劇場はまだ影も形もなく、今メトロポリタンプラザが建っているところには芝浦工大付属高校がありました。
駅の設備もまだ整備されておらず、試験的に導入された自動改札が目新しかったのは憶えていますが、ほとんど仮駅のような状態でした。実際、丸の内線から有楽町線に乗り換えるときは一度地上に出なければならなかったのです。通路が整備されてどの線からの乗換えがラクになった今からは想像もつかない光景でした。
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2007.2.1 東武鉄道東上線朝霞台駅
池袋-銀座一丁目間が開通した頃から、近所のバス通りの拡幅工事が始まりました。同時に有楽町線の延伸工事もスタートしていましたが、立ち退きが進まず、ずいぶん長くかかりました。開業から6年ほどたった頃、クリーム色の無骨な電車ばかりだった東武東上線に初めて銀色の電車が入りました。有楽町線乗り入れ用の9000系です。名車8000系以来久しぶりの新車は当時大変目を引いたものです。私が進学した高校は、私の家から徒歩10分、今でこそ千川駅から徒歩5分ですが、当時は東上線大山か都営三田線板橋区役所前から徒歩というのが一般的で、どちらかといえば不便な学校だったのです。結局卒業まで有楽町線は近所には来ませんでした。9000系も長らく「地上勤務」に甘んじていました。
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2007.2.2 東武鉄道東上線朝霞台駅
大学に進学した昭和58(1983)年、最初の夏休みで帰省、「大垣夜行(現「ムーンライトながら」)」で早朝の東京駅に着き、有楽町から千川まで乗ったのが初乗りになりました。営団成増(現・地下鉄成増)まで開業しており、まだ9000系は地上勤務のままでした。
その後、西武が建設を担当したため西武池袋線の支線扱いになっている「西武」有楽町線が練馬まで開通しましたが、練馬駅の整備が完成していなかったために「片乗り入れ」状態が長く続き、運賃の上でも不利だったので、千川駅で待っているとすぐわかるほど空いていたものでした。西武が用意した乗り入れ車両は新系列の6000系。こちらも長いこと地上勤務を強いられていました。そのころ開業からの地下鉄7000系の後継として新系列07系がデビューしましたが、副都心線のホームドアの寸法の都合で東西線への移籍が始まっています。
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2006.7.11 西武鉄道池袋線中村橋駅
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2007.2.2 東武鉄道東上線朝霞台駅
そして現在、副都心線の開通が現実味を強める中、全く新しいコンセプトの10000系が登場。いよいよ有楽町線も新時代が訪れようとしています。今後は、まだ全く動いていない豊洲-亀有間(豊洲駅は島式2面で完成済)の動向が注目されます。
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2007.2.2 東武鉄道東上線朝霞台駅
by borituba | 2007-03-09 11:32 | てつどう