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シリーズ地下鉄80年-その4

昭和30年代に入り、都市計画の中に地下鉄が本格的に組み込まれるようになりました。当時の東京は路面電車の天下で、都心部を網の目のように走っていました。しかし、自動車の増加や道路整備の影響で、これをバスと地下鉄に置き換える方針になり、既存の2線を含めた13路線が計画されました。現在の路線に直すと、
1号線:押上~西馬込(都営浅草線)
2号線:北千住~中目黒(日比谷線)
3号線:浅草~渋谷(銀座線)
4号線:池袋~荻窪・中野坂上~方南町(丸の内線)
5号線:中野~西船橋(東西線)
6号線:西高島平~目黒(都営三田線、白金高輪~目黒間は南北線と共用)
7号線:赤羽岩淵~目黒(南北線、白金高輪~目黒間は南北線と共用)
8号線:和光市~新木場(有楽町線、和光市~小竹向原間は副都心線と共用)
9号線:綾瀬~代々木上原(千代田線)
10号線:本八幡~新宿(都営新宿線)
11号線:渋谷~押上(半蔵門線)
12号線:光が丘~(都内循環)~都庁前(都営大江戸線)
13号線:和光市~渋谷(副都心線、和光市~小竹向原間は有楽町線と共用)
これは実現した(する)路線で、途中いろいろな変更などを経ています。
地下鉄に戦後になって初めて持ち込まれた概念が「相互乗り入れ」です。相互乗り入れについては以前シリーズでご紹介しましたが、すでに第3軌条方式で全線開通していた銀座線・丸の内線以外の路線は、全ての路線で相互乗り入れが計画されました(のち12号(大江戸)線はミニ規格、リニア駆動で建設されたので乗り入れなしに変更)。
戦後新たに計画された路線で、最初に開業したのが2号(日比谷)線です。折りしも1964年のオリンピックが東京で開催されることとなり、57年路線決定、59年着工、64年夏までに全線開通という、無謀ともいえる計画で建設されました。
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2006.8.17 東京急行電鉄東横線都立大学駅
開業も61年3月の南千住~仲御徒町間を皮切りに、北千住~南千住・仲御徒町~人形町(東武線との相互乗り入れ開始・62年5月)、といった具合に6~1kmごとに細切れに部分開業を繰り返し、64年に入ると、3月、7月、8月と文字通り「できた順に」部分開業して、ついにオリンピック開会前に全線開通させてしまったのです。地価が安く、オリンピックに伴う都市改造の流れに乗ったとはいえ、現在では逆に考えられないスピード建設でした。
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2006.1.12 東武伊勢崎線春日部駅
日比谷線の車両は、スキンステンレスの丸みを帯びたフォルムから「マッコウクジラ」と呼ばれた3000系が長らく活躍しましたが、現在はアルミ車体、VVVFインバータ制御の03系に世代交代しています。3000系の一部は長野電鉄で第二の活躍をしていますが、東急8500系が入って廃車が出始めています。その中でトップ編成の先頭車だった2両が東京メトロに返却され、千代田線の綾瀬検車区に保管されています。
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2006.7.20 東京急行電鉄東横線都立大学駅
by borituba | 2007-03-05 10:52 | てつどう