2006年 02月 10日
報恩・昭和の電車グラフィティ24-北総鉄道7000系
北総鉄道は昭和54年に北初富-小室間で開通。北初富から新京成線に乗入れて、松戸まで行っていました。そのため、当初は新京成との結びつきが強く、7000系は新京成の車両と共通運用で小室まで往復していました。その後、住宅・都市整備公団が建設した第二期線が開通した時に、最初にリース車両として入ったのは新京成800系でした。その後、延伸に伴って住宅・都市整備公団は1000系(元京急1000形)、2000系(新車。京急乗り入れ時に京急2000形との重複を避けるため9000系に改番)などを投入してきました。
7000系は、都営線対応の装備はしていましたが、京急の保安基準には対応しておらず、1991年の京成高砂-新鎌ヶ谷間が開通した当初は京成や京急からのリース車両が京急への乗り入れを務め、7000系は泉岳寺、西馬込ゆきとして入線、その後対応改造を施して、京急に入るようになりました。
7000系の特徴は、なんといってもこの個性的な顔です。運転台から下の視界を確保するために貫通扉以外の場所を大きく「く」の字形にえぐったような形をしており、その鋭角的なフォルムから「ゲンコツ」のあだ名がつきました。かつては未開発で何もないニュータウン用地の原野を走る都会的でモダンなフォルムの電車はなんともアンバランスに見えたものです。
現在は京成・都営・京急とつごう4社をまたいで羽田空港まで顔を出していますが、折角掴んだ都心への乗り入れも長続きはせず、VVVFインバータ車の台頭はここにも顕著で、近々デビューする7500系に後を譲って引退が予定されています。京成の初代AE車同様、空港とその沿線開発の遅れに終生振り回された生涯といえましょうか。