2006年 01月 21日
報恩・昭和の電車グラフィティ4-京急800形
800形がデビューしたのは昭和53年。1000形が大量に増備されていたために、都営線には入らない本線地上区間用として開発されました。
都営線には入らないため、京急では(初代)600形以来の前面非貫通で、前照灯は京急伝統の一つ目です。700形以来10年ぶりの新車ということで、当時最新の技術であった界磁チョッパ制御やワンハンドルマスコン、電力回生ブレーキなどが京急初の導入となり、1979年のローレル賞を受賞しました。当初は本線普通用としてまだ数多く残っていた400形・500形に取って代わり、やがて吊り掛け車が全廃されると、3両固定編成だった編成が当時まだ盲腸線だった空港線でも主役として活躍しました。デビュー当時は新塗装の試験として、窓回りが白くなっていましたが、快特用の2000形デビュー時に現在の白帯に変更されました。また、もともと固定編成としてデビューし、また他形式との併結を行なわないので先頭にはジャンパ栓がなく、すっきりしたフォルムになっています。車両番号は編成毎につけられ(801-1~801-6で一編成)、この方式はやはり編成毎に番号が付けられた(2代目)600形に受け継がれています。
空港線延伸-空港乗り入れは、京急の車両の動きを大きく変えることになりました。日中、本線の川崎以南は快特と普通の2本立てになり、品川口も急行が全て羽田空港ゆきに、快特は3本に1本が空港ゆき「エアポート快特」になるなどの未曾有の大改革となりました。
そんな中で空港線にいた3両固定編成も全て6両編成にまとめられ、一部の先頭車は中間車に改造されました。現在ではすべて6両編成になっています。同時に車両の更新も行なわれ、妻窓の撤去や白幕化などが進んでいます。
800形は現在、大師線を除く全線で、早朝・深夜に一部特急・快特に運用されますが、ほとんどが普通として活躍中。120キロでぶっ飛ばす快特から逃げ切るために、すぐれた加減速性能と普通としては驚異的な100キロで走り、「抜かれる」普通でなく「逃げ切る」普通として地味ながら堅実な仕事をこなし、特徴的な前面から「ダルマさん」の愛称で親しまれています。