人気ブログランキング | 話題のタグを見る

デハ712の一番長い日-2011年東北地方太平洋沖地震

私は昼の仕業が終わり、会社の近くまで戻って食事に行く予定で車の中にいました。

会社まであと少しの谷原のアンダーパスまで来て、目白通りの陸橋をくぐる直前で信号待ちで停車していると、まずラジオが騒ぎ始めました。

「あ、今地震です。震度2…」

地震には慣れっこになっているので最初は「ああまたか」くらいの感覚でした。しかし…

箱型の軽トラなので、強風のときふわふわ揺れることがありますが、そんな感じが伝わってきました。アンダーパスの中で風の影響がないはずなので「おや?」と思った次の瞬間、ユサユサと大きく車が揺さぶられ始めました。

「でかいぞ!」と思い上を見ると、陸橋上の街路灯の柱が大きく揺れていました。座ってシートベルトをしているにもかかわらず体が浮き上がるような感覚で、外に放り出されるような恐怖を感じました。気がつくと体を丸めてハンドルにしがみついていました。

前は大型トラックでしたが、倒れるのではないかと思うほど左右に大きく揺れていました。

関東大震災を知る祖母から聞いてはいたものの、これほどの大きな揺れはわたしは46年生きてきて初めてです。「生きた心地がしない」とはまさにこのことでした。本当に怖かった。

とても長く感じましたが、ようやく揺れがおさまってきました。陸橋に異常はないようです。前の車が動き出したのでアンダーパスから脱出しました。

とりあえずすぐ近くのコンビニに飛び込んで弁当を買い、会社へ戻ると、会社ではバッテリーの在庫が転がったくらいでほとんど被害はなく、けが人もなし、比較的平穏でした。

このときは鉄道のマヒなどことの重大さは伝わってきていないので、食事を済ませたあと、そのまま夜の仕業へ行きました。

ラジオでは各地の被害状況や交通情報が伝わってきており、18時に会社を出てから瀬田最初の納品先まで3時間半かかりました。

途中甲州街道や国道246号の歩道は繁華街のように歩いて帰る人々でごったがえしていました。上りも下りも大渋滞です。

ラジオで第三京浜の開通が報じられたので、そちらを使っていつもと逆に回ります。

横浜市内は比較的平穏でしたが、それでもあちこちいつも空いているところが大渋滞になっていたりで、最後の、普段は最初の納品場所についたときは23時30分を回っていました。

最後の納品場所付近は停電しており、街灯も信号も消え、沿道の建物も真っ暗です。怖かった…

それから帰宅するまでとにかく遠かった。新二子橋を越えて都内に入るまで1時間半、環八から甲州街道に出るまで1時間、甲州街道の上りは比較的流れていて、多分大渋滞しているだろう環七を避けて笹塚から中野通りへ出たのが幸いしてそれからは比較的順調でしたがそれでも家にたどり着いたのは3時過ぎでした。

末筆ながら、今回の地震に遭われた全ての方々にお見舞いを、そしてなんとか無事に過ごすことが出来たことに感謝を、そして犠牲になった方々にお悔やみを申し上げます。

合掌。
by borituba | 2011-03-12 22:32 | しんさい