2009年 07月 24日
6月の鉄活動から:しめくくりは京急(3)
今年、京急は開業110周年を迎えました。110年前というと、1899年。なんと19世紀末になります。日本の年号で言うと明治32年になります。
ちなみにこの年、東京-大阪間に電話が開通し、初の国産映画がつくられるなど、文明開化の成果が実を結び始めた年になり、翌々年から始まる新世紀(20世紀)への期待が多いに高まっていました。
また、20世紀に大いに活躍する人々が数多く誕生した年でもあります。私の興味を引いた人だけでも、私が大好きな作曲家の一人であるフランシス・プーランク、伊福部昭を筆頭に各国の新進作曲家を数多く見出したアレクサンドル・チェレプニン、アメリカ裏面史の主役アル・カポネ、私の家の近所に居を構えていた「ひとぉ~つ…人の世の生き血をすすり…」でおなじみの「桃太郎侍」の原作者山手樹一郎、「のらくろ」の田河水泡(落語「猫と金魚」の原作者でもあります)、ジャズの大偉人で武満徹も私淑したデューク・エリントン、ミュージカルの神様フレッド・アスティア、ギャング映画の立役者ジェイムズ・キャグニィ、サンペンス・スリラー映画の神様アルフレッド・ヒチコック、「誰がために鐘は鳴る」のアーネスト・ヘミングウェイ、「伊豆の踊り子」の川端康成、「二十四の瞳」の壺井栄、新派名狂言「日本橋」の川口松太郎、私をクラシック音楽に誘ってくれた名指揮者ユージン・オーマンディ、歌曲伴奏の神様ジェラルド・ムーア、イギリスの名指揮者で私も大好きなジョン・バルビローリ卿、小林多喜二・徳永直と並ぶプロレタリア文学者宮本百合子、一番最初に挙げたプーランクが音楽を付けた絵本「ぞうのババール」の作者ジャン・ド・ブリュノフ、変ったところで「世界は一家、人類は皆兄弟」でおなじみで、日本を代表する黒幕の一人笹川良一、「辻説法」が1980年代までの銀座数寄屋橋の名物だった大物右翼赤尾敏etc...国内外、各界そして私の人生に大いに影響を与えた偉大な方々ばかりです。
それまで「六郷の渡し」で結ばれていた東海道(現国道15号線・第一京浜)に橋(六郷橋)がかかり、参詣客の便をはかるため、橋のたもとから川崎大師門前まで鉄道が敷かれました。関東初の電気鉄道で、その名を「大師電気鉄道」といいます。しかし、わずか3ヵ月後の同年4月に京浜電気鉄道と改称、3年後の1902年(明治35年)、六郷橋と川崎が結ばれました。このとき六郷橋駅は廃止され、京浜電気鉄道の支線大師線となったのです。
その後南北に路線を延ばし、品川-横浜間で省線・国鉄(現JR)と競合する大手私鉄に成長、戦中の「大東急時代」を経て、三浦半島と横浜(最初のターミナルは黄金町)を結んでいた湘南電気鉄道と合併(このとき標準軌に改軌)し、京浜急行電鉄となって現在に至ります。
ということで、ここ川崎大師は京急がその第一歩を踏み出した地、ということで1968年(昭和43年)、翌69年(昭和44年)の開業70周年を前に建立されたのがこの「京急発祥の地」記念碑です。
大師線は、現在地下線化の工事が始まっており、川崎大師駅も地下駅になることが決まっています。この記念碑もいずれどうなるかわからないので、こうして記録にとどめておきました。
1000形のいない大師線からはこれで退散。本線の1000形を求めて川崎に戻ります。